疫病の蔓延と人口減少
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 15:09 UTC 版)
「ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「疫病の蔓延と人口減少」の解説
16世紀のヨーロッパ人やアジア人は既に、牛、豚、羊、山羊、馬および様々な家禽といった家畜を飼い、住まいもそれらと近接しているという状態が長く続いていたが、アメリカ大陸ではそうではなかった。1492年以降ヨーロッパ人が大挙してアメリカ大陸に押し寄せ、先住民族と接触するにつれて、先住民が経験したことのない、従って免疫性のない病原菌を持ち込むことになった。天然痘(1518年、1521年、1525年、1558年、1589年)、チフス(1546年)、インフルエンザ(1558年)、ジフテリア(1614年)、およびはしか(1618年)といった疫病の大流行があり、先住民族人口のうち、1千万人ないし1億1200万人、95%ないし98%は減少したと考えられている。この人口の減少に続いて文化的な混乱と政治的な崩壊が起こり、ヨーロッパ人による既存文明の征服と土地の植民地化が容易になったとされている。 コロンブスが到着した当時のアメリカ大陸推計人口についてはばらつきが大きく定説がない。この人口に関する議論はしばしば思想的基盤があった。コロンブス以前の先住民族人口が多かったとする当時の推計は、西洋文明とキリスト教の見方に対する偏見で決められたと論ずる者がいる。ロバート・ロイアルは「コロンブス以前の人口推計値は、特にヨーロッパに対して批判的な学者の政治的色彩を帯びたものであり、しばしば大きな数値を採用した」と書いている。コロンブス以前のアメリカ大陸では文明の興亡があり、1492年時点での先住民族人口は必ずしもそのピークではなく、既に減少し始めていた可能性もある。アメリカ大陸の先住民族人口は20世紀初頭までにその最低値まで減少し、それ以降、多くの地域では増加傾向になってきた。 ヨーロッパ人と先住民族の抗争が原因で死亡した者の数も結論が出ていない。歴史愛好家ウィリアム・M・オズボーンはその著書『荒野の辺境:ジェームズタウンからウンデッドニーまでのアメリカ・インディアン戦争における残虐行為』の中で、最初の接触(1511年)からフロンティアの消滅(1890年)まで、今日のアメリカ合衆国本土内で記録されたすべての「残虐行為」を集計し、先住民族による残虐行為での死者が9,156人、ヨーロッパ人による残虐行為での死者が7,193人とした。オズボーンは残虐行為を市民、負傷者および捕虜に対する殺人、拷問あるいは人体切断として定義している。
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