疫病の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 05:52 UTC 版)
ロンドンの大疫病で被害を蒙ったのは貧民が中心であった。富裕層は郊外の不動産や、親族を頼って避難することができたためである。翌年のロンドン大火では多くの商人やその保有不動産が失われた。 この結果として、1666年のロンドン再建法が可決され、ロンドンの大半は再構築された。 ロンドンにおける街路の計画は比較的保守的だったが、いくらかの改良点が見られた。道幅は拡大され、舗装され、開渠は廃止され、木造の建築や張り出した破風は禁止され、建造物の設計と建築とが規制されるようになった。煉瓦造りまたは石造が義務付けられ、優雅な建造物が多数建造された。ロンドンは単に回復しただけでなく、より健康的な都市へと変化した。ロンドンの住民は1665年と1666年のこの災害以降、共同体意識をより強く持つようになった。 再建は10年以上にわたって続けられ、ロバート・フックにより監督された。 建築家のサー・クリストファー・レンがセント・ポール大聖堂や50以上のロンドンの教会の再建に関与した。 国王チャールズ2世は再建事業にかなりの支援を行った。チャールズ2世は芸術や科学の支援者であり、王立天文台の建造やロバート・フック、ロバート・ボイル、サー・アイザック・ニュートン等が含まれる科学者の集団である王立協会にも援助を行った。実際のところ、イングランドにおける芸術と科学の復興は、大火と疫病から生まれたのである。 集団墓地には、現代の地下工事中に考古学的に発掘されたものがある。2011年から2015年の間に、リバプール・ストリートのクロスレールの工事現場からニューチャーチヤードもしくはベトラム墓地と推定される地域で3500体の遺体が発掘された。 発掘された遺体の歯からペスト菌のDNAが発見され、腺ペストの犠牲者であることが証明された。
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