疫病の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:07 UTC 版)
戦争は兵士の健康に大きく影響した。1914年から1918年まで動員されたヨーロッパ諸国の将兵6千万人のうち、800万人が戦死、700万人が永久的な身体障害者になり、1,500万人が重傷を負った。ドイツは男性労働人口の15.1%を、オーストリア=ハンガリーは17.1%、フランスは10.5%を失った。ドイツでは、一般市民の死亡者が平時よりも474,000人多かったが、主に食料の不足と栄養失調による餓死や病死が原因である。レバノンでは終戦までに飢饉により約10万人が死亡した。 1921年ロシア飢饉により500万から1,000万人が死亡した。ロシアでは第一次世界大戦、ロシア内戦、そして飢饉により、1922年までに450万から700万人の子供が孤児になった。反ソ連のロシア人(白系ロシア人)の多くがロシアから逃亡、1930年代の満洲国ハルビン市では10万人のロシア人が住んでいたという。ほかにも数千人単位でフランス、イギリス、日本、アメリカに逃亡している。 戦乱によって、さまざまな疫病も流行した。寄生虫による発疹チフスで、1914年のセルビアだけでも20万人の死者(うち兵士は7万人)が出た。1918年から1922年まで、ロシアでは2,500万人が発疹チフスに感染、300万人が死亡した。1923年にはロシアで1,300万人がマラリアに感染、戦前よりはるかに大きい感染者数となった。さらに、1918年にはスペインかぜ(インフルエンザ)が大流行、ヨーロッパでは少なくとも2,000万人が死亡した。「スペインかぜ」の俗称は各国が戦時下で情報統制していた中で中立国のスペインから早期に感染情報がもたらされた事に由来する。これにより徴兵対象となる成人男性の死者が急増し、補充兵力が無くなりかけたことが、同年の休戦の一因ともいわれている。 ハイム・ヴァイツマンによるロビー活動もあって、ユダヤ系アメリカ人がアメリカにドイツ支援を促すことにイギリスが恐れた結果、イギリス政府は1917年にバルフォア宣言を発してパレスチナにおけるユダヤ人国家(英語版)の建国を支持した。第一次世界大戦に参戦したユダヤ人兵士は合計1,172,000人以上であり、うち275,000人がオーストリア=ハンガリー軍、450,000人がロシア帝国軍に従軍した。
※この「疫病の問題」の解説は、「第一次世界大戦」の解説の一部です。
「疫病の問題」を含む「第一次世界大戦」の記事については、「第一次世界大戦」の概要を参照ください。
- 疫病の問題のページへのリンク