疫病と祭祀とは? わかりやすく解説

疫病と祭祀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:55 UTC 版)

崇神天皇」の記事における「疫病と祭祀」の解説

即位3年三輪山西麓瑞籬宮(みずかきのみや)に都を移した即位4年、詔を発して万世一系謳った即位5年疫病流行して人口半ば失われた祭祀疫病治めようとした天皇翌年天照大神倭大国魂神宮中の外に出すことにした。天照大神豊鍬入姫命託して笠縫邑現在の檜原神社)に祀らせた。倭大国魂神渟名城入媛命託し長岡岬に祀らせた。しかし渟名城入媛は身体痩せ細って倭大国魂神祀ることが出来なかった。 即位7年、「昔皇祖大い聖業高く国は盛であったのに、朕の世にり災害が多い。その所以亀卜にて見極めよう。」と詔して、神浅茅原に幸して八百万の神集めて占った。すると倭迹迹日百襲姫命大物主神乗り移って自分祀るよう託宣した。神の教えのままに祭祀行った霊験がなかった。そこで天皇沐浴斎戒して宮殿を中を清めて、「願わくば夢に教えて神恩示してほしい」と祈った。するとその夜夢に一人貴人現れ自ら大物主神称して「もし我が子大田田根子以って我を祭ればたちどころに平安となる。」と告げた続いて倭迹速神浅茅原目妙姫大水口宿禰穂積遠祖)・伊勢麻績君の三人がともに同じ夢を見て大物主神倭大国魂神大和神社祭神)の祭主それぞれ大田田根子市磯長尾市にせよという神託受けた。そこで大物主神の子とも子孫とも言われる大田田根子探し出され大物主神を祭る神主となった三輪山御神体とする大神神社始まりである。市磯長尾市(いちしのながおち)も倭大国魂神を祭る神主となった。すると疫病終息して五穀豊穣となった即位8年、活日(いくひ)という者を大神掌酒さかびと)とした。そして活日が神酒捧げて歌を詠み続けて諸大夫役人)と天皇それぞれ歌を詠んだ此の神酒我が神酒ならず 日本成す 大物主の 釀みし神酒 幾久 幾久(活日)味酒 三輪の殿の 朝門にも 出でて行かな 三輪殿門を(諸大夫味酒 三輪の殿の 朝門にも 押し開かね 三輪殿門を(崇神天皇

※この「疫病と祭祀」の解説は、「崇神天皇」の解説の一部です。
「疫病と祭祀」を含む「崇神天皇」の記事については、「崇神天皇」の概要を参照ください。

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