略歴・戦歴とは? わかりやすく解説

略歴・戦歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/21 08:10 UTC 版)

甲木清実」の記事における「略歴・戦歴」の解説

1919年大正8年4月10日福岡県三潴郡蒲池大字東蒲池(現:柳川市東蒲池)で生まれる。 1938年昭和13年6月海軍佐世保海兵団入団1941年昭和16年5月、第54期操縦練習生卒業同期生山崎市郎平(撃墜14)。二座水上機操縦員となる。鹿島海軍航空隊館山海軍航空隊博多海軍航空隊での勤務経て水上機母艦千歳乗組となる。乗機零式観測機1942年昭和17年1月11日セレベス島北部ケマ上陸支援中、オランダ軍PBY飛行艇を1機撃墜同年9月千歳飛行機隊はR方面航空部隊編入。甲木もショートランド移動ガダルカナル航空戦参加10月頭より日の出日没時哨戒任務に当たり、10月3日艦爆10機が来襲すると、うち3機を編隊長機とともに追撃し、1機を撃墜翌日10月4日午前4時45分黒丸直人中尉指揮千歳飛行機第2小隊2番機としてYI-23号機に水上機母艦日進ほかの輸送船団護衛中B-17爆撃機5機と遭遇、その指揮官機体当たり撃墜。甲木(当時階級一等飛行兵)と後席偵察寶田三千穂二等飛行兵曹(昭和18年1月27日戦死)は駆逐艦秋月救助された。甲木と寶田本件により10月10日付で千歳艦長古川保大佐から褒状授与され、特別善行章一線付与される12月艦爆16機、F4F 10機、P-40 12機が飛来し、甲木ら零観6機と交戦。甲木と寶田艦爆編隊襲撃し撃墜2(うち不確実1)を記録する1943年昭和18年2月、R方面航空部隊解散。のち、甲木は第四五二海軍航空隊水戦隊へ転勤し乗機二式水上戦闘機となる。 昭和18年8月10月 占守島での防空戦においてB-25爆撃機1機を単独撃墜日付不詳)、9月12日には幌筵島上空でB-24爆撃機2機を共同撃墜当時階級二等飛行兵曹。10月1月第四五二海軍航空隊から水戦隊が除かれ、甲木は潜水艦36内地帰還した帰還後横須賀海軍航空隊水上戦闘機強風訓練従事し訓練終了後第九三四海軍航空隊転勤する1944年昭和19年1月16日 アンボン付近でB-24爆撃機1機を単独撃墜。これは強風による初の撃墜戦果とされる同年3月第三八一海軍航空隊転勤4月戦闘機隊に配属される乗機零式艦上戦闘機バリクパパン次いでシンガポール転戦しシンガポールではB-24爆撃機2機を単独撃墜する。 1945年昭和20年2月内地帰還大村海軍航空隊第三三二海軍航空隊第三五二海軍航空隊転勤乗機零式艦上戦闘機および雷電兵庫方面での防空戦闘従事しつつ敗戦迎える。最終階級飛行兵曹長。甲木の総撃墜戦果16機で、そのうちの7機が水上機よるものだった。

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