生涯と著述とは? わかりやすく解説

生涯と著述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 13:43 UTC 版)

エドモン・ド・ゴンクール」の記事における「生涯と著述」の解説

1822年5月26日ナンシー生まれた祖父弁護士で、土地購入してフランス王ルイ16世により貴族叙され、父はナポレオン・ボナパルト期の陸軍士官だった。 弟ジュール・ド・ゴンクールとは常に共同執筆しエドモン口述ジュール筆記した後、2人推敲して著作完成させた。梅毒により、1870年に弟ジュール病没した時は、兄エドモンは筆を取れないほどだったが、弟の遺稿添削する事などで徐々に立ち直り没する寸前まで小説評伝美術評論など約10数冊の作品著述した。 1851年から共作書かれ始めた日記英語版)(Journal des Goncourt)』(全9巻)が著名19世紀フランス文壇のみならず社会全般にわたり、赤裸々書かれている晩年1887年から1896年)に、一部公刊され反響大きかった交流相手作家はフローベルやゴーティエバルザックサント=ブーヴなどである。 晩年歌麿北斎等の浮世絵始めとした近世日本美術紹介務めジャポニスム先駆者1人となった。これには越中国富山県高岡出身画商林忠正協力大きく『日記』にも多く登場している。 1896年7月16日、シャンプロゼで死去した遺言により遺産を基に、文学賞としてゴンクール賞創設され1902年にアカデミー・ゴンクール(英語版)が発足した永井荷風江戸芸術論』が、紹介文「ゴンクウルの歌磨及北斎伝」を著した。また後藤末雄野口米次郎による解説著作がある。 没後60年経た1956年に、完全版刊行しようとしてアルフォンス・ドーデ晩年に弟のように接し、その邸宅急逝したの子孫から、訴訟沙汰起され一時取り止めになったが、後に公刊された。日本人ではパリ万国博覧会[要曖昧さ回避]関係で、総理大臣に就いた西園寺公望松方正義等が登場する

※この「生涯と著述」の解説は、「エドモン・ド・ゴンクール」の解説の一部です。
「生涯と著述」を含む「エドモン・ド・ゴンクール」の記事については、「エドモン・ド・ゴンクール」の概要を参照ください。

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