現代論理学に対する影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 05:28 UTC 版)
「インド論理学」の記事における「現代論理学に対する影響」の解説
18世紀後半にイギリスの学者達がインド哲学に関心を抱き、推論に関するインド人の高度な研究を発見し、ヘンリー・トーマス・コールブルックの『インドの哲学: ニヤーヤとヴァイシェーシカの体系に関して』(1824年)で頂点をむかえた。この著作では推論の分析や、欧州で受け入れられていたアリストテレス論理学との比較が行われ、アリストテレスの三段論法ではインドの三段論法が説明できないことがわかった。 マックス・ミュラーはトムソン(英語版)の『思考の法則』(1853年)に付した補論において、次のように言及しギリシア論理学とインド論理学を同じだけ価値があるとした。つまり、「論理と文法の学問は、歴史が我々に裁定させる限り、ただ二つの民族、インド人とギリシア人によって発見あるいは最初に思いつかれた。」 と。 ジョナルドン・ガネリは当時ジョージ・ブールとオーガスタス・ド・モルガンが先駆的に(代数学的論理学やブール論理のように)代数学的発想を論理学の定式化に用いていたことを目の当たりにして、彼らはゼノンの論理学においてこういった研究を意識しつつあり、さらに彼らの獲得した命題論理には欠点があるという意識は彼らの意欲を体系の外部を見ることに向かわせつつあると主張した。 インド論理学は西洋の多くの学者の関心を惹き、チャールズ・バベッジ、オーガスタス・ド・モルガン、そして特にジョージ・ブール(彼の妻、メアリ・エヴェレスト・ブール(英語版)によって1901年に著され『インド思想と19世紀の西洋科学』と題された「ボーズ博士への公開書簡」で確証しているように)といった19世紀の先駆的な論理学者に影響を与えた。 ド・モルガン自身がインド論理学の重要性について1860年に次のように記している。すなわち、「二つの人種が数学を打ち立てた、というのはサンスクリットを用いる人種とギリシア語を用いる人種なのだが、彼らは論理学の形式的体系を独立に打ち立てた二つの人種であった。」と。 今日、数学者はインド数学のヨーロッパ人への影響を意識している。例えば、ヘルマン・ワイルがこう書いている。「西洋の数学は過去数世紀間、ギリシア人の考え方から逃れて、インドに起源をもつとされさらにアラブ人によって我々にもたらされた考え方に従ってきた。その考え方では数の概念は幾何学の概念としてより先に論理学の概念として現れる。」(Weyl, 1929)
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