特殊学校の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 18:43 UTC 版)
世界で最初の特殊学校のひとつは、1784年にパリに開設された国立青年盲学院(フランス語版)であった。この施設は、全盲の生徒を教育する世界最初の学校であった。イギリスにおける聴覚障害者のための最初の学校は、1760年にエディンバラでトマス・ブレイドウッド(英語版)によって開設され、視覚障害者のための教育は、1765年にエディンバラとブリストルで始まった。 19世紀における障碍者たちの様子や、彼らがおかれていた非人間的な生活や教育の状況は、チャールズ・ディケンズの文学作品に描かれている。ディケンズは、『荒涼館』や『リトル・ドリット』といった作品において、障碍者である登場人物に、他の人物と同様の、場合によってはそれ以上の、共感と洞察をもって性格づけをした。 こうした形で、障碍をもつ人々の虐げられた状況に関心が寄せられるようになった結果、ヨーロッパでは特殊学校の再整備など様々な改革が進められるようになった。一方、アメリカ合衆国では、改革はそれより遅れていた。20世紀半ばの時期には、特殊学校は受け入れられ、さらには促進された。障害をもつ生徒たちは、精神障害をもつ人々と一緒の施設に収容され、ほとんど教育らしい教育を受けなかった。 アメリカ合衆国における脱施設化の動きは、1970年代に施設の内情が公になったことから始まり、1974年に全障害児教育法(英語版)が議論され、その後、個別障害者教育法(英語版) (IDEA)、障害者教育改善法 (Individuals with Disabilities Educational Improvement Act, IDEIA) と法整備が進んで実を結んだ。普通学校への特殊教育の統合は、1970年代から支持があり、高等教育における教員養成課程では、教室におけるインクルージョン教育について注意深く教えられ、卒業生に対しても、教室、個人、学校、地域など様々なレベルにおけるインクルージョン教育を何十年にもわたって指導し、デュアル・ライセンスをもった「正規教師 (regular teachers)」の育成が進められた。 1997年の個別障害者教育法の改正によって、アメリカ合衆国の学区は、中程度から重度の特殊な必要を抱えた生徒たちを、通常の学校システムへと、徐々に統合していくことになった。これによって、多くの学区における特殊教育サービスの形態や機能が変化することになり、各学区が生徒一人当たりのコストを見直したことで、特殊学校で学ぶ生徒の数は確実に減少を続けた。一部の学校や学区では、一般的な出身のジレンマを生じ、また、学校側の評価の捉え方を変え、正式な「インクルージョン」の概念を、教師、生徒、保護者に広めることとなった。
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