父娘二人監禁事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/09 12:24 UTC 版)
「北九州監禁殺人事件/del20140716」の記事における「父娘二人監禁事件」の解説
XとYはXの出身地で土地勘のある北九州市内に戻り、Xの知人である不動産会社勤務のBに接近。XがBが勤務する不動産会社を通じて複数のマンションを確保し、潜伏アジトとした。契約者の名義はXの複数の交際相手である。Xは予備校講師を偽ってBの姉(Aの伯母)に接近した。Bの姉は夫との不和を相談に乗ってもらい、結果、夫と離婚、Xの交際相手の1人となっていた。Xがマンションを確保する際、不動産会社に勤務するB自身が連帯保証人となることもあった。しかし、仲介者であるB自身が当該不動産の保証人となるこの行為は宅地建物取引業法違反であった。この時にXが確保したマンションの1つが、後に発生する数々の殺害事件の舞台となった。 当時、Bは交際相手である保険外交員の女性と同棲していたが、Xから競馬のノミ屋に関する儲け話に関する新会社設立を聞かされたBは同棲していた女性と別れ、Bの実娘AはYが養育するとしてXが確保したマンションに移り、Bは社宅で過ごしながらXが確保したマンションに通うようになった。 Bはまた、仕事で部屋の消毒作業をしないまま「消毒済み」として工費を着服していた過去があった。酒に弱い体質のBを酔わせ、この事実を聞き出したXは「犯罪だ」とBを追及して弱みを握る。そして、Bは室内ではXからカツラを取られるようになった。Aは父Bはカツラであったことを知らず、Bの禿げ頭を目にして驚いたという。さらに、Bに「娘Aに性的虐待をした」「会社の金を横領した」などと事実と異なる事実確認書を書かせ、弱みにつけこむ。Bが出社できなくなって職場を退職すると、社宅を離れてXらのマンションに引っ越すことになり、Xはさらに虐待を加速させた。 すでにBへの虐待に加担していたYは、Xの不在時もBへの虐待に手を抜かなかったという。これはXが突然現れて抜き打ちのチェックが入り、手加減を見つかればXから制裁を受けるので、それを恐れたためであった。事件発覚後、法廷における証言でAはXだけでなくYのことも「悪魔」と表現した(後述)。この中でも、Bは反抗的態度を一切見せずに、死亡数日前に次男を妊娠していたYに対して「元気な赤ちゃんを産んでくださいね」と言うなど、Yのことを気づかっていた。 1996年2月26日、XとYは通電を繰り返したり、食事を満足に与えないなどBを虐待して衰弱死させた(第1の殺人)。 Xは、YとAに遺体の解体を命じ、Bの遺体は海に遺棄された。Yは身重の身でBの遺体の解体作業を行ったが、解体を終えた直後に陣痛が起こり、大分県の病院に駆け込んで次男を出産している。 XはAに対し死亡直前のBに歯型がつく程噛ませた後に写真を撮り、Aに「父親を殺したことを認める」とする事実関係確認書を作成させ、Bの殺害に加担した罪悪感を植え付けて虐待を繰り返し、監視下に置いた。
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