無補償・給与未払い問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 23:19 UTC 版)
「高砂義勇隊」の記事における「無補償・給与未払い問題」の解説
降伏に伴う日本の台湾放棄により日本国籍を喪失した台湾人は、日本国政府による戦争被害の補償対象から除外され、元軍人・軍属やその遺族に対する障害年金・遺族年金・恩給・弔慰金のみならず、戦争中の未払給与や軍事郵便貯金(上述)等の支払いも、一切行われなかった。1952年4月28日の日華平和条約では、日台間の財産・請求権問題は「日本国政府と中華民国政府との間の特別取極の主題とする」と定められたが、日本政府は対応に消極的で、国民政府も戦後に日本から接収した財産の正当性や取り扱いが議論されることを懸念し、加えてかつての「敵」である台湾人元日本兵の問題には無関心だったのだ。結局、話し合いがなされないまま日本の中華人民共和国との国交樹立に伴い日台国交は断絶した。日本を愛し、本土の日本人と同じように日本のために戦地に赴いたにもかかわらず手当を受けられずにいる台湾人元日本兵は、烈しい不満と悔しさの念を抱くこととなった。 1974年末にインドネシアのモロタイ島で残留日本兵として発見された台湾人、中村輝夫(民族名:スニオン、漢名:李光輝)も、台湾原住民アミ族出身の義勇隊員であった。彼の確認が、日本の世論において「高砂義勇軍」が話題に上った最初のきっかけとなった。彼の発見をきっかけに給与が未払で補償がないことに関する世論の批判もおき、1987年9月に「台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律」、1988年5月に「特定弔慰金等の支給の実施に関する法律」がそれぞれ特別立法で成立し、申請が認められた場合には台湾人元日本兵の遺族や当事者である戦傷病者に対し一人当たり200万円の特定弔慰金が支給されることとなった。 また、軍事郵便貯金については額面の120倍にして返却することが決まり、1995年に支払いが開始された。一部の元隊員は受け取ったが、戦時中には大金であった平均残高1000円を120倍にしたところで12万円にすぎず、物価上昇を考慮すると数年間の戦闘の対価としてはあまりに少額として抗議する元隊員は現在でも多い。1996年6月に、日本大使館に相当する台北の交流協会を元隊員が襲撃する事件が起こった。
※この「無補償・給与未払い問題」の解説は、「高砂義勇隊」の解説の一部です。
「無補償・給与未払い問題」を含む「高砂義勇隊」の記事については、「高砂義勇隊」の概要を参照ください。
- 無補償給与未払い問題のページへのリンク