無装荷ケーブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 04:45 UTC 版)
松前は1932年(昭和7年)にいわゆる「無装荷ケーブル通信方式」を提唱し、篠原登と共に完成させた。 長距離ケーブルでは2線間の静電容量により損失があるが、ケーブルに一定間隔で装荷コイル(英語版)を挿入してインダクタンスで釣り合いをとる装荷方式で、1899年にミカエル・ピューピンが特許を取得した。装荷方式は損失による減衰が少ない長所から真空管発明以前である当時の主流となったが、信号の反射や歪曲、遅延時間増大、遮断周波数より高域の信号は使用できない、などの欠点もあった。 1932年(昭和7年)に「増幅器などを使用して装荷しないケーブルを利用すれば、高効率で、遮断周波数は存在せず搬送を利用した多重化にも有利である」とした「長距離電話回線に無装荷ケーブルを使用せんとする提案」を発表し、小山 - 宇都宮間で多重電話伝送を実験して良好な結果を得た。のちに「当時の主流に異を唱える主張で、勇気を要とした」と述べている。1937年(昭和12年)に満州国の安東と奉天間で無装荷通信方式で長距離電話通信が成功し、1940年(昭和15年)に東京と新京間で全長3,000キロメートルの直通電話が開通した。 初期の研究を著した書籍に『無装荷ケーブルによる長距離通信方式の研究』があり、この書籍を東北帝国大学に博士論文として提出し、工学博士の学位が贈られた。
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