火災報知用電話の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 19:03 UTC 版)
1919年に無料化された火災報知用電話は「六大都市行政監督ニ関スル法律」 が定めるところの六大都市(東京、大阪、神戸、京都、名古屋、横浜)だけで実施されていた。それ以外の中堅都市では交換方式の自動・手動を問わず、消防署の加入電話番号へ報知されていたが(有料)、1924年(大正13年)10月1日の岐阜市 での実施のあと、次々と無料の火災報知用電話(手動局での『火事』および後述する自動化局での119番)がはじまった。 1925年(大正14年)度 新潟市、札幌市、函館市 、小樽市、旭川市、釧路市、広島郵便局電話加入区内、仙台市、富山市、長岡市、山形市、門司市、若松市、小倉市、久留米市、呉市、福岡市、静岡市、浜松市、甲府市、宇都宮市、水戸市 1926年(大正15年・昭和元年)度 福井市、鹿児島市、金沢市、岩代若松郵便局電話加入区内、秋田市、奈良市、堺市、徳島市、西宮郵便局電話加入区内、米沢市、高崎市、足利市 日米開戦の前年、1940年(昭和15年)における実施エリアは約140になった。 終戦後、国家消防庁の消防研究所(現:総務省消防庁消防研究センター)が1949年(昭和24年)1月から12月に全国192都市に対して行った調査によると、そのうち147都市で火災報知用電話が実施されていた。しかし電話が自動交換化され、かつ119番が実施されていたのは東京区内、大阪市、名古屋市、京都市、横浜市、神戸市のほかに旭川市、青森市、秋田市、宇都宮市、前橋市、浦和市、川口市、市川市、甲府市、岡谷市、豊橋市、芦屋市、高松市、松山市、呉市、宮崎市、延岡市の計23都市でしかなかった。 日本全国の電話の自動交換化が完了したのは1979年(昭和54年)3月14日だった。1917年(大正6年)以来およそ60年間使われた、手動交換局の交換手に対する『火事』という掛け声はその役割を終えた。
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