火災報知用電話の無料化
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1919年(大正8年)4月1日、逓信省は電話通話規則 の第26條を改正し、火災報知用電話(東京・横浜・大阪)の無料化に踏み切った。郵便、電報、電話を官営ビジネスとする逓信省ではあったが、火災報知用電話の絶大なる効果と公益性を認めた。無料化について逓信省の中川健蔵通信局長は、火災を発見しても自働電話に投入する小銭の持ち合わせがなく、せっかくの機会を逃すことがたびたびあったが、今後はそれが解消され一層の効果が期待できるとした。 そして1919年11月1日に京都市、1920年(大正9年)1月8日に名古屋市、同年5月1日に神戸中央電話局電話加入区内 でも通話料不要の火災報知用電話の仕組みをスタートさせて、現代の119番による通報システムの礎を築いた。 大正8年 逓信省令第11号(4月1日) (略) 第二十六条第二項を左のごとく改める電信機の故障その他の電話障害事故に関し公衆より電話官署に対する市内通話は無料とす 別に告示する 火災報知のため公衆より消防官署に対してなす市内通話また同じ 大正8年 逓信省告示第429号(4月1日)東京市内、横浜市内、大阪中央電話局電話加入区域における出火に際し 電話によりこれを消防官署に報知せんとするときは所属交換取扱局を呼出し単に「火事」と告ぐべし ただし警鐘前に限る前項の申出ありたるときは交換取扱局において便宜と認める消防官署に接続通話せしむ 本告示による火災報告の通話は取扱上支障なき限り最優先により接続する 大正六年三月逓信省告示第三百五号 同年九月逓信省告示第七百五十八号および同年十一月逓信省告示第千十九号はこれを廃止す とはいえ1928年(昭和3年)に日本逓信学会から出版された『電話法規』(逓信業務講義録 第1編)には、「火災報知の為の通話が無料通話の範囲に属せしめられ居るは、火災の際に於て通信機関の保全を計るの理由に基くものである。」と記されており、ここに逓信省サイドの本音がみてとれる。 逓信省の本省職員たちには1907年(明治40年)1月の火事で庁舎の大部分を消失し、2年以上ものあいだバラック小屋で執務した苦い経験がある。また市街地の火災では、これまで幾度も電話柱が延焼し、多大の損害を受けてきた。さらに1913年(大正2年)7月には浪花電話局の機械修繕室で部分焼け騒ぎが起きており、逓信省は火災報知用電話の無料化が自分たちのメリットにもなると考えたようである。 無料化が影響したかは定かではないが、1920年(大正9年)頃より子供のいたずら電話が多くなり、学校や家庭での指導を徹底して欲しいと当時の緒方惟一郎消防部長がコメントしている。
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