漁業史
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江戸時代には大網や中網を用いて地引網漁業を行い、天保10年(1839年)には1網で300両を稼ぎ出したという。翌天保11年(1840年)には町屋村と漁場紛争を引き起こし、28人が処分を受けた。1882年(明治15年)の調査では、地引網船32隻、浮引網船52隻が村にあった。 1897年(明治30年)頃には打瀬網漁が導入され、1902年(明治35年)には白塚漁業組合が結成された。さらに1937年(昭和12年)には徳島県からバッチ網漁を導入した。
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漁業史
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ヨーロッパコウイカ Sepia officinalis Linnaeus, 1758 トラフコウイカ Sepia pharaonis Ehrenberg, 1831 東シナ海のカミナリイカは肉厚で好まれたが、資源が減少した。それに匹敵するヨーロッパコウイカなどはいち早く「もんごう」と呼ばれ、日本のイカ市場を席巻した。遠洋トロール漁業が復活しアフリカから「もんごういか」が大量に輸入され、市場に流通していたが、これはヨーロッパコウイカの亜種であった。1959年に日本漁船によりヨーロッパコウイカの好漁場の発見され、国内のコウイカ類の漁獲量を上回った。その最盛期は1965年頃からで、それから10年間程度は年間10,000 tくらい漁獲しており、最も漁獲量が多かったのは1967年で、30,000 tの漁獲があった。1975年くらいから段々と減り、1982年まで続いた。 それに続き、1969年頃から、アラビア海のアデン湾に日本のトロール漁船が集まり、イカ資源が開発された。このトラフコウイカはヨーロッパコウイカと並び身が大きく厚く、多い年では年間10,000 t程度漁獲された。現在では東南アジアのコウイカ資源が極めて大きく、トラフコウイカを含めたコウイカ類が年間30,000 t程度上がっている。 全世界では、コウイカ類の漁獲量は年々上がっており、最近では約300,000 t程度がされ、その10分の1程度が日本国内で漁獲されている。2009年現在、市場でみられる「もんごう(ヨーロッパコウイカ)」はスペインなどからの買い付けが大部分で、成田に水揚げされる。
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