佐近正晴とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 佐近正晴の意味・解説 

佐近正晴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 09:08 UTC 版)

佐近 正晴(さこん まさはる、1906年明治39年〉 - 1960年昭和35年〉)は、日本実業家。弓浜漁業の元社長[1][注 1]

経歴

鳥取県西伯郡余子村大字福定(現在の境港市福定町)に佐近豊松の子として生まれる[3]

父・豊松と共に地引網の振興をはかり、“豊十網”は弓浜地方屈指の網元となった[3]。更に大型木造による沿岸漁業に着手、多くの朝鮮人を雇って漁や漁に専念し、境港漁業の発展につとめた[3]

戦後は就労の場のない地域の青少年を集めて「佐近船団」を組織したり、漁業協同組合結成に尽力したりと境港漁業史に大きな足跡を残した[3]

家系

脚注

注釈

  1. ^ 鳥取県境港市栄町所在の弓浜漁業(株)について、『日本会社録 第4版』には「設立・昭和27年12月、目的・巾着網漁業、資本金・499万円(4990株)、決算期・12月、社長・佐近正晴、専務・竹安哲、常務・永見宗正、取締・足羽荘、足立鶴作、吉田政成、監査・松本益雄、納原盛、大株主・佐近正晴(3000株)、株主総数128、従業員・93、年商内高・8900万円内外、銀行・山陰合同扶桑相互但馬(各境)、設備・船舶8、漁網具1」とある[2]

出典

  1. ^ 『新日本人物大観』(鳥取県版)、サ…146頁。
  2. ^ 『日本会社録 第4版』会社106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年3月29日閲覧。
  3. ^ a b c d 『福定町誌まがりまつ』148頁。

参考文献

  • 『新日本人物大観』(鳥取県版)人事調査通信社、1958年。
  • 『日本会社録 第4版』交詢社出版局、1965年。
  • 企画編集-福定自治会『福定町誌まがりまつ』、1990年。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐近正晴」の関連用語

1
6% |||||

2
4% |||||

佐近正晴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐近正晴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐近正晴 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS