海への進軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/08 01:40 UTC 版)
詳細は「海への進軍」を参照 オリバー・ハワード隷下のテネシー軍は、続いてシャーマンの海への進軍とカロライナ方面作戦において、その右翼を努めることとなるが、それまでには若干の時間があった。9月初めにアトランタを失った後、南軍のフッドは残存兵力を集め、後方との通信線を攻撃してシャーマンを北方におびき出し、テネシー州を脅かすことで、いくらかの成功を求めた。シャーマンは、チャタヌーガ方面への転進とそれに続くアトランタへの復帰で、テネシー軍は270マイル移動する必要があったと見積もっている。この間(9月-10月)に、シャーマンは彼の部隊の編成を変更している。ダッジの第16軍団は解散され、その部隊は第15軍団と第17軍団へ配属された。テネシー軍本体における第16軍団の役割は、これで終了した。 最終的にシャーマンは、テネシー防衛のためにジョージ・トーマスとジョン・スコフィールドに分遣隊の指揮を任せ、約60,000名の兵力を率いて南東の海へ向かって進撃することを、上司から許可された。11月と12月の間、テネシー軍はシャーマンの右翼として、海へ向かって約280マイル進軍した。ハワードの指揮下にあったのは、ピーター・オスターハウス(Peter J. Osterhaus) 少将の第15軍団と、ブレアの第17軍団であった。カンバーランド軍から抽出された軍団で編成された、ヘンリー・スローカム少将のジョージア軍がもう一翼を務めた。 シャーマン自身はほとんど反撃を受けることがなかったこの進軍を「対抗相手のいない強力な軍の移動による、内陸部から沿岸部への基地の移設であり、そこから他の重要な結果を得ることができた」と評している。よく知られているように、彼の部隊は土地を奪い南部の資産を鉄笛的に破壊することによって、南軍の戦意を喪失させた。(行軍開始に先立ち、ある兵士は「シャーマンはこの国をキリスト教化するために我々を使おうとしていることを。。。我々は理解している」と書いている)作戦の最終段階の12月13日、シャーマンは彼の古いシャイロー師団 - 今はウィリアム・ヘイズン准将のテネシー軍第15軍団の第2師団 - を使って、ジョージア州サバンナ郊外のマカリスター砦(Fort McAllister)を制圧した。12月21日、進軍はサバンナを占領して終了した。テネシー軍とジョージア軍は、シャーマンをしてリンカーンにサバンナというクリスマスプレゼントを与えた。。。150門の重砲と大量の砲弾、また25,000包の綿花のおまけつきであった。シャーマン自身の卑下にも関わらず、海への進軍は「南北戦争最大の出来事」の一つであった。ジョージアをほぼ無抵抗で移動したシャーマンの機動により、南軍は「余命いくばくもない」状態となり、バージニアにあったロバート・E・リーの北バージニア軍の戦意を喪失させた。
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