フッカーの第20軍団とは? わかりやすく解説

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フッカーの第20軍団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 23:01 UTC 版)

第20軍団 (北軍)」の記事における「フッカーの第20軍団」の解説

ジョセフ・フッカーは、1863年5月チャンセラーズヴィルの戦い敗北責任問われポトマック軍司令官解任された。しかしゲティスバーグの戦いの後、ワシントンフッカーポトマック軍第11軍団第12軍団をフッカー預けブラッグ包囲されているチャタヌーガ解放のために派遣したフッカーはワウハッチーの戦いBattle of Wauhatchie)で決定的な役割果たし包囲されている北軍への連絡路開き、「雲の上戦い」として知られるルックアウト山の戦いにも勝利した1864年4月4日アトランタ方面作戦直前に、ウィリアム・シャーマン第11軍団第12軍団を統合して第20軍団とし、フッカー軍団長としてカンバーランド軍所属とすることを承諾したカンバーランド軍テネシー軍共に作戦参加し第20軍団果敢に戦ったアトランタの戦いテネシー軍司令官ジェイムズ・マクファーソン少将戦死し後任オリバー・O・ハワード少将任命された。これを不満としてフッカー軍団長辞任したハワードが彼より後任であること、またおそらくはチャンセラーズヴィルにおいてフッカー警告していたにも関わらずハワード当時第6軍団長)が適切な防御体制取らず南軍ストーンウォール・ジャクソン中将側面攻撃許し北軍敗北招き結果としてフッカーポトマック軍司令官解任されることとなったためであろうフッカー後任軍団長は、共に前第12軍団長であったアルフェウス・ウィリアムズ続いてヘンリー・W・スローカム就任した9月1日アトランタ降伏した後、第20軍団アトランタ最初に入城したその後シャーマンジョージア軍加わり海への進軍参加した海への進軍ではウィリアムズが再び軍団長となり、カロライナ方面作戦まで指揮を執った(スローカムはジョージア軍司令官昇進した)。第20軍団12月サバンナ大きな役目果たしカロライナ方面作戦全期間通じて多く戦闘参加した。特にベントンビルの戦いでは南軍ジョセフ・ジョンストン大将反撃大部分吸収した。ベントンビルではジョンストン南軍殲滅することができなかったため、シャーマンウィリアムズに代わってより積極的なジョセフ・マウワー(Joseph A. Mower)を軍団長据えた戦争終了後ワシントン大観閲式に参加し1865年6月軍団解散した

※この「フッカーの第20軍団」の解説は、「第20軍団 (北軍)」の解説の一部です。
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