浮世絵におけるポンチ絵とは? わかりやすく解説

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浮世絵におけるポンチ絵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 14:21 UTC 版)

ポンチ絵」の記事における「浮世絵におけるポンチ絵」の解説

文明開化期に日常使用されるようになったポンチ」という言葉は、1862年横浜イギリス人チャールズ・ワーグマンによって創刊され漫画雑誌ジャパン・パンチ』に由来する。この『ジャパン・パンチ』は1887年明治20年)まで25年間にわたって木版刷り刊行続いており、幕末刊行号の幾つかに「パンチ」が訛ったカタカナ表記の「ポンチ」という言葉みられる。ただし、1884年明治17年)からは石版刷りとなった毎号在日外国人似顔絵多用して諷刺して、情報誌としても役立つため居留地在住外国人人気博し仮名垣魯文日本人関心持ってみていた。 1874年明治7年)、文と河鍋暁斎は『ジャパン・パンチ』に似せた『絵新聞日本地(えしんぶんにっポンチ)』と題した漫画売り物とした定期刊行物出版したころには、大多数日本人ポンチの意味知っていたに違いなく、1881年明治14年)に小林清親戯画錦絵の『清親ポンチシリーズ版行したころにはポンチというのは日常語となっていたといわれるまた、1882年明治15年8月から清親本多錦吉郎の後を継いで常連投稿家として『團團珍聞』に風刺画投稿し始めた明治前半期にはポンチ時局風刺画あるいは世相漫画の意味有しており、それらは『ジャパン・パンチ』の作品見て影響を受けたもの多数であった暁斎清親は『ジャパン・パンチ』を熱心に研究したことが知られポンチの用語は、人民主導新国家体制を創ろうとしていた自由民権期に輝いた用語であった。しかし、1889年明治22年)に大日本帝国憲法発布されたことにより自由民権運動終息迎えその後ポンチ次第諷刺エネルギー喪失してゆく。清親コマ漫画やふき出し入り漫画試みたりしたが、諷刺の鋭い漫画少なく1891年明治24年)に創刊された『新滑稽』(新滑稽社刊)では清親門人田口米作漫画担当として売り出し、『團團珍聞』の中心的漫画担当者として明治27年から明治35年まで米作を自らの後継者として育て始めた明治20年代末から30年代にかけて、子供だましの絵と化したポンチ今泉一瓢北沢楽天により「漫画」という新し言葉に代わられていった

※この「浮世絵におけるポンチ絵」の解説は、「ポンチ絵」の解説の一部です。
「浮世絵におけるポンチ絵」を含む「ポンチ絵」の記事については、「ポンチ絵」の概要を参照ください。

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