活動と会員資格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 08:50 UTC 版)
「ケンブリッジ使徒会」の記事における「活動と会員資格」の解説
ソサエティは本質的にディスカッショングループ(英語版)である。ミーティングは週に1回、伝統的に土曜日の夜に開催され、その間に1人のメンバーが特定の話題について準備してきた演説を行い、その後それについて自由に議論が行われる。 通常の手順は、メンバーがトピックを提示する当番にあたったメンバーの部屋で会合が行われる。話題提供者であるホストは、オイルサーディンを載せたトーストにコーヒーという軽食を提供する。これは「クジラ」とあだ名されている。女性は1970年代に初めてソサエティに参加を認められるようになった。 使徒たちは、その創設者にまでさかのぼる彼らの会員の革装の日記(「本」)を所有している。これには、各メンバーが話したトピックについての手書きのメモが含まれている。この日記は、いわゆる「アーク」(Ark、契約の箱)と呼ばれる杉の箱に収められており、その中にはグループの初期のいくつかの手書きのメモ、メンバーが話した話題、および出席者が投票した議論の結果まで収められている。投票された質問が、議論された問題とただ接点をもっているということは、名誉なことと考えられていた。「使徒」と呼ばれるメンバーは、アクティブな、通常は学部学生のメンバーである。引退したメンバーは「天使」と呼ばれている。学部学生は、卒業またはフェローシップを授与された後、天使になることを申請する。数年ごとに、秘密が厳しくなる中、すべての天使たちはケンブリッジ大学での使徒たちの夕食に招待される。かつては毎年、ロンドンで恒例のディナーが開催されていた。メンバー候補と目されている学部生は「胚」と呼ばれ、「胚パーティー」に招待され、メンバーは学生を招待すべきかどうかを検討する。「胚」は、メンバー入の候補と知らずにパーティーに参加する。使徒になるには、秘密の誓いを立て、1851年頃に神学者である 使徒フェントン・ジョン・アンソニー・ホートによって書かれた呪いの朗読を聞かなくてはならない。 元メンバーは、お互いに感じている生涯にわたる絆について語ってきた。哲学者のヘンリー・シジウィックは、使徒たちの回想録の中で、「このソサエティへの愛着の絆は、私が人生で知っている最も強力な仲間の絆(corporate bond)である」と書いている。 アルフレッド・テニスンは、おそらく彼の友人アーサー・ハラム(英語版)の招待により、1829年に使徒たちに加わった。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインを招待したジョン・メイナード・ケインズと同様、バートランド・ラッセルとG・E・ムーアも学生時代、このソサエティに参加していた。ラッセルは、ウィトゲンシュタインがグループの不真面目さとユーモアのスタイルを評価しないのではないかと心配した。彼は1912年に入会したが、暖炉に関する議論のレベルに耐えられなかったため、ほぼ即座に退会した。(彼はまた、モラルサイエンスクラブでの議論に自分を合わせるのに苦労した)。彼は、1920年代にケンブリッジに戻ってきたときに、再度メンバーになっている。
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