天魔
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天魔(てんま)とは第六天魔王波旬(だいろくてんまおうはじゅん、サンスクリット: पापीयस् pāpīyas、より邪悪なもの)、すなわち仏道修行を妨げている悪魔のことである。天子魔(てんしま)・他化自在天(たけじざいてん)・第六天魔王(あるいは単に魔王)ともいう。また、天魔の配下の神霊(魔縁参照)のことを表す場合もある。
概要
第六天とは仏教における天のうち、欲界の六欲天の最高位(下から第六位)にある他化自在天をいう。『大智度論』巻9に「此の天は他の所化を奪いて自ら娯楽す、故に他化自在と言う。」とあり、他の者の教化を奪い取る天としている。 また『起世経』巻1には「他化天の上、梵身天の下、其の中間に摩羅波旬・諸天の宮殿有り。」とあり、他化自在天と梵衆天の中間に天魔が住んでいるとする。また『過去現在因果経』巻3には「第六天魔王」が登場し、「自在天王」と称している。 これらを踏まえ、『仏祖統紀』巻2には「諸経に云う、魔波旬六欲の頂に在りて別に宮殿有り。今因果経すなわち自在天王を指す。是の如くなれば則ち第六天に当たる。」とあり、他化自在天=天魔であると考察している。
涅槃経においては天魔が釈迦の教えを破壊するために釈迦や比丘(僧侶)や優婆塞、聖者や阿羅漢のふりをして矛盾する教えを説く事が説かれている。
仏教における天魔観
仏教では、修行者の仏道修行や悟りを妨げるものを「魔」として捉え、その働きをいくつかに分類している。代表的な分類が「四魔」であり、煩悩による障害を指す「煩悩魔」、身体や心を構成する五蘊に関わる「陰魔」、死によって修行を妨げる「死魔」、そして「天子魔」の四つが挙げられる。天子魔は他化自在天子魔とも呼ばれ、第六天の魔王として説かれる[1]。 この分類から分かるように、仏教における「魔」は、外部から現れる魔王だけを意味するものではない。煩悩や身体、死などもまた修行者の修行を妨げるものとして「魔」に含められている。そのため天魔は、「魔」という広い概念の中で、人格をもった存在として捉えられた一類型と位置づけることができる[2]。
マーラとの関係
天魔の観念は、インド仏教におけるマーラ(Māra)と深く関係している。マーラは仏教文献において、釈迦や修行者の成道を妨げる存在として描かれるが、その位置づけは仏教文献の成立や展開の中で変化していった。岩井昌悟は、初期仏教文献におけるマーラの位置づけと、後代にマーラが欲界の最上位にある他化自在天の存在として捉えられるようになる過程を検討している[3]。 このように、インド仏教におけるマーラの観念と、日本で後世に広まった「第六天魔王」の観念は、関連しながらも同じものとして単純に扱うことはできない。第六天魔王という表現は、仏教の伝播と展開の中で形成された天魔観の一つとして捉えることができる。
降魔成道
天魔をめぐる代表的な仏伝の場面に「降魔成道」がある。これは、釈迦が悟りを開く直前に魔を降伏させ、その後に成道したという説話である。仏伝では、魔王マーラが釈迦の成道を妨げようとする場面が描かれ、この場面は仏教美術でも表現されてきた。 降魔は、釈迦の生涯を八つの場面に分ける「八相成道」の一つとして挙げられることがある。この場合、釈迦が出家した後、成道に先立って魔を降伏させ、その後に悟りを開いたと説明される[4]。 降魔成道を表した仏教美術では、釈迦が右手を大地に触れる「触地印」を結ぶ姿が重要な図像として用いられている。この印相は、釈迦が大地を証人とする降魔成道の説話と結びついている[5]。
大般涅槃経での波旬
大般涅槃経では序品において釈尊が今まさに涅槃せられんとする場面から始まり、そこには釈尊の涅槃を知って様々な人物が供養しようとして馳せ参じるがその中には魔王波旬もいたと説かれる。その内容は以下の通り。
波旬は、仏の神力によって地獄の門を開いて清浄水を施して、諸々の地獄の者の苦しみを除き武器を捨てさせて、悪者は悪を捨てることで一切天人の持つ良きものに勝ると仏の真理を諭し、自ら仏のみ許に参じて仏足を頂礼して大乗とその信奉者を守護することを誓った。また、正法を持する者が外道を伏する時のために咒(じゅ、真言)を捧げ、これを誦する者を守護し、その者の煩悩は亀が六を蔵す(亀が四肢首尾を蔵めて外敵より身を守ること)ものであると述べて、最後の供養者として真心を受け給うよう願い出た。釈尊は「汝の飲食(おんじき)供養は受けないが、一切衆生を安穏にせんとするためのその神咒だけは受けよう」と仰せられた。波旬は三度懇請して咒は受け入れられたが終に飲食供養は受け給わず、心に憂いを抱いて一隅に座した。
法華経と第六天の魔王
日蓮は、第六天の魔王を、仏道修行者を法華経から遠ざけようとして現れる魔であると説いた。しかし、純粋な法華経の強信者の祈りの前には第六天の魔王も味方すると、日蓮は自筆の御書で説いている。日蓮があらわした法華経の曼荼羅に第六天の魔王が含まれているのは、第六天の魔王も、結局は法華経の味方となるという意味である。第六天の魔王は、仏道修行者の修行が進むと、さまざまな障りで仏道修行者の信心の邪魔をするが、それに負けず、一途に信心を貫くものにとっては、さらなる信心を重ねるきっかけとなるにすぎない。なぜなら、信心を深めることにより、過去世からの業が軽減・消滅し、さらなる信心により功徳が増すきっかけとなるからであると日蓮は説いている。現世で受ける第六天の魔王の障りも、「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」で一生の間の難に収まる、とする。
伊勢神宮(天照大御神)と第六天の魔王
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伊勢神宮では古来から「神仏隔離」が貫かれており、神事への僧尼の参列や神域内での読経などの仏事を厳禁していた。しかし、古代から中世にかけて神仏習合が進み、僧侶が神事を執り行う神社も全国では少なくなかった状況の中で、なぜ伊勢神宮の祭神である天照大御神は仏教を忌避するのかについて、神仏隔離の根拠と広く信じられたのが「天照大神と第六天魔王が盟約を交わしていたため」という説であった。鎌倉時代の弘長年間(1261年 - 1264年)、僧の無住道暁が伊勢神宮を参詣した際に、「ある神官が語ったことには、『当社では、仏法僧の三宝の御名を言わず、御殿近くには僧でも参詣しない(以下の理由による)。昔この国がまだなかった頃、大海の底に大日の印文(真言)があったので、大神宮(天照大御神)が鉾を下ろして探り出された。その鉾の滴が露のようであったとき、第六天の魔王が遠くから見て、『この滴が国となり、仏法が流布し、人々が生死を解脱する予兆がある』と考え、そうさせないようにと下ってきたとき、大神宮が魔王と会って、『私は三宝の名も言いません。身にも近づけません。早く天上にお帰りください』と説得して仰ったので、魔王は帰った。その約束を違えまいと、僧などは御殿近くにも参詣せず、社殿では経を表立って持たず、三宝の名も正しく言わない。仏をたちすくみ、経を染め紙、僧を髪長、堂をこりたきなどと言い、外には仏法と疎遠のようにして、内には三方をお守りくださっていらっしゃる。それ故、我が国の仏法はまったく大神宮のご方便によるのである。」と聞いたことを、著作である「沙石集」(巻第一「大神宮の御事」)に書き残している。この天照大御神と第六天魔王との盟約説は、太平記(巻十六 日本朝敵の事)にも登場するなど、当時の人々に広く膾炙していたようである[6][7]。
織田信長と第六天魔王
織田信長は、「第六天魔王」を名乗った人物として知られている。この逸話は、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが1573年に記した書簡によって知られており、武田信玄が信長に送った書状に「天台座主沙門信玄」と記したのに対し、信長が「第六天魔王信長」と応じたとされる[8]。 この逸話における「第六天魔王」は、仏道を妨げる魔王を意味する。信玄が仏教に関係する「天台座主沙門」を名乗ったのに対し、信長が「第六天魔王」を名乗ったとされることから、両者の対立を象徴する逸話として知られている[9]。 ただし、この逸話で実際に信長が「第六天魔王」と署名した書状そのものが現存しているわけではなく、この呼称はフロイスの書簡によって伝えられている。したがって、信長が実際にこの名を自称した事実として断定するのではなく、フロイスが伝えた逸話として扱うのが適切である。
脚注
- ↑ 中村元ほか, ed (2002). 岩波仏教辞典 (第2版 ed.). 岩波書店. p. 455
- ↑ 岩井, 昌悟 (2009). “マーラの変容―死魔から他化自在天へ―”. 印度學佛教學研究 58 (1): 197-202. doi:10.4259/ibk.58.1_197.
- ↑ 岩井, 昌悟 (2009). “マーラの変容―死魔から他化自在天へ―”. 印度學佛教學研究 58 (1): 359-364. doi:10.4259/ibk.58.1_364.
- ↑ 大久保, 良峻 (2022). “近世後期の仏伝”. 東洋大学東洋学研究所紀要 61: 52-74.
- ↑ 佐藤, 直実 (2020). “蔵漢訳『阿閦仏国経』に記される触地の様相”. 印度學佛教學研究 68 (2): 176-181. doi:10.4259/ibk.68.2_176.
- ↑ 末木文美士『中世の神と仏』山川出版社 日本史リブレット、2018年5月30日、67頁。
- ↑ “伊勢神宮(天照大神)が仏教を嫌う理由 「第六天魔王との盟約説」とは?|仏都伊勢を行く ~神と仏の伊勢神宮~”. note(ノート) (2025年6月21日). 2025年7月24日閲覧。
- ↑ 海老沢, 有道 (1981). “豊臣秀吉の日本神国観――キリシタン禁制をめぐって――”. 国際基督教大学学報 III-A アジア文化研究 17: 91-118.
- ↑ 海老沢, 有道 (1981). “豊臣秀吉の日本神国観――キリシタン禁制をめぐって――”. 国際基督教大学学報 III-A アジア文化研究 17: 91-118.
関連項目
波旬(はじゅん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/17 20:55 UTC 版)
「暗黒騎士を脱がさないで」の記事における「波旬(はじゅん)」の解説
現代における神に近い存在。正確には特殊な能力を持った人間のことであり、波旬は人々の欲望を無条件で叶えるという役割を持つ。作中では天狗のような存在として描かれており、「欲望を抱く(性的に興奮する)と鼻が伸びる」「風の力を使う」などがある。
※この「波旬(はじゅん)」の解説は、「暗黒騎士を脱がさないで」の解説の一部です。
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