治療の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 22:34 UTC 版)
日本の戦国時代には、金創医という医者が従軍して弾を抉り出していた。また、民間療法で馬の糞から作られた馬糞汁を飲むのが良いとされた。 1497年に、ドイツ人外科医(傷治療者:Wundarzt )Hieronymus Brunschwig(ドイツ語版)は、世界で初めて銃創の治療(火薬の毒 Pfolspeundt、焼灼止血法)について記述した『Das buch der cirurgia: hantwirckung der wundarztny.』を執筆した。 フランス王室公式外科医アンブロワーズ・パレは、焼灼止血法を止め、軟膏(卵黄・バラ油・松脂から作られた軟膏)による止血を導入し、1545年に銃創に関する論文を執筆した。 1596年に、イギリス人外科医William Clowes(英語版)は、創傷清拭、異物の摘出、創傷治療で焼灼止血をやめること、もともと弾丸は無毒だが発射前に弾丸に塗られた毒についての教科書を作成した。 1880年代まで、銃創を治療するための一般的な方法は、医師が殺菌されていない指などを傷に入れて弾丸をほじくり返すことであった。1881年に暗殺された第20代アメリカ大統領ジェームズ・ガーフィールドは弾丸が見つからず、16人の医師が殺菌していない器具や手で弾丸を探し回ったため感染症となり死亡した。 大統領の暗殺から二日後に、銃創治療の第一人者として知られるようになる医師George E. Goodfellow(英語版)は、石鹸で手を洗い、銃で撃たれた患者の傷をウイスキーで消毒して、開腹術を行い命を救っている。 1895年に、レントゲンが発明され、体内に残った銃弾の位置が特定できるようになった。 アメリカでは、1979年にAdvanced trauma life support(英語版)という二次救命処置(設備の整った病院での救命措置)を開発した。 日本においては、2018年3月に2020年のオリンピックに向け、一般社団法人 日本外傷学会 東京オリンピック・パラリンピック特別委員会は『銃創・爆傷患者診療指針〔 Ver.1 〕』を作成した。
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