外科的治療の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 01:41 UTC 版)
最初の結核処置の成功事例は全て外科でのものだった。外科の医者達は、空洞化した結核の、その空洞化を閉じる事を観察出来れば、完治に至るという考えが基となる。外科的な治療は、故に直接に空洞化した肺を開けて治すものであった。手順としては全てが抗生物質誕生前の時代もので、結核治療での外科の目的は酸素の組織を奪うという、その当時の外科医でも信じていた神話が存在した。身体組織が無酸素状態でも生き残るという事はよく知られている事だった。外科的な治療の順序は21世紀の基準と照らし合わせてみると、野蛮なものだと考えられるかもしれない。結核に対する外科的な処置は病気の潜在的な治癒方法の可能性を表し、この時代の結核という病気は、2000年代の肺癌の死亡率と同じに悪いものだという事を思い出さなければならない。 結核の再発、もしくは治りづらい気胸 外科的な結核の処置の中で最も単純で素早く行う順序は、肋膜の隙間に空気を誘導する事で、肺を衰弱させ空洞化させることである。通常の自然な気胸の解決とこの順序は毎週繰り返すことで空洞化を促すことができる。 横隔神経の破壊 横隔神経(横隔膜への供給)を切除もしくは、破壊する事で永遠に無力にする。横隔膜を無力にする事で肺を衰弱をさせ、そして空洞化を埋め尽くす。 胸郭成形術 肺尖の中で空洞化した時に胸郭形成術を行う。6-8のあばら骨は破壊され、胸の空洞化で肺の下が衰弱する。これは治療を台無しにする操作だった。しかし、外科的処置の繰り返された順番を避ける必要があった。ノヴォシビルスク(ロシア)の、骨形成の胸郭形成術(胸膜外胸郭形成術の変種)は、結核の複雑な空洞化の患者に死亡する最後50年間まで使用され続けられた。なぜなら、肺切除は禁忌とされていたからである。 充填術 充填術によって、治療を台無しにする操作を減らす必要があった。充填によって、肺の空洞化した中に磁製ボールを詰め合わせ、胸の空洞化は肺の下を衰弱させる。結核の場合は、肺の横隔膜等から取った膜を縫い合わせる。感染した肺の外科切除は、1930年~1940年の間では非常に稀な試みであり、極端に高い週術期死亡率(周術期は、入院、麻酔、手術、回復といった、患者の術中だけでなく前後の期間を含めた一連の期間)を誇った。
※この「外科的治療の歴史」の解説は、「結核の管理」の解説の一部です。
「外科的治療の歴史」を含む「結核の管理」の記事については、「結核の管理」の概要を参照ください。
- 外科的治療の歴史のページへのリンク