沖縄の龍柱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 08:21 UTC 版)
琉球王国においては、龍は国王の象徴とされたため、首里城内部には多数の龍の彫刻があったが、特に首里城正殿の前にある柱が有名で、「大龍柱」と呼ばれていた。1508年(尚真32年)に建造された後、火災や戦火によって何度か破壊された。現在の首里城にある龍柱は、1768年に制作された首里城の設計図である「百浦添御殿普請付御絵図幷御材木寸法記」(沖縄県立芸術大学蔵、通称「寸法記」)を元に、琉球の彫刻の大家である琉球大学名誉教授の西村貞雄の手によって、1992年(平成4年)に復元された4代目である。首里城には、首里城正殿の前にある大龍柱・小龍柱や、首里城正殿の2階にある御差床(うさすか、国王の座る玉座)の龍柱を始めとして、計33体の龍の装飾が存在したが、その多くは後の2019年の首里城火災に被災した。 現在では、明治橋の入り口や沖縄県警本部の前など、沖縄県内の各所に龍柱が建てられている。明治橋に設置された「明治橋の由来」(1987年)によると、沖縄の表玄関にふさわしい橋とするために、明治橋の親柱に沖縄のシンボルである旧首里城正殿の龍柱を据えたとのこと。このように、現在の首里城の龍柱が1992年に再建される以前より、旧首里城の龍柱は沖縄の象徴とされていた(明治橋の完成が1987年なので、実は現在の首里城の龍柱よりも明治橋の龍柱の方が古い)。また、沖縄県が普及を進めるかりゆしウェアの下げ札(タグ)にも龍柱が描かれたり、那覇市がゆるキャラの「龍柱会議」を展開するなど、同じく沖縄の象徴であるシーサーなどとともに、沖縄でよく使われるデザインの一つともなっている。火を鎮めるシーサーに対し、龍は水を鎮める役割がある。 琉球の龍柱は、1柱だけ建てられているものもあるが、本土の狛犬のように2柱が1対で建てられていることが多く、それぞれ阿吽の形相をしている。柱の上に頭があり、柱本体が龍の胴体となっており、下はハブのようにグルグルととぐろを巻いている。片手には「宝珠」と言う、どんな願いもかなえるという玉をひとつだけ掴んでいる。2柱は正面を向いているものと、互いに向かい合っているものがあり、首里城の龍柱は互いに向かい合っているが、宜野湾市立体育館の龍柱や真地大権現堂の龍柱は2柱とも正面を向いている。大きさは、地面に据え付ける大きい龍柱から屋内に置くミニ龍柱までいろいろあり、首里城正殿2階の御差床の龍柱や、沖縄県議会の龍柱は、ミニ龍柱である。2015年には若狭湾の近くの若狭緑地に、首里城と同じ西村貞雄のデザインで巨大な2柱の龍柱が建造されたが、これは3億円を超す建造費がかかったために批判があった。 これらとは別に、那覇市の福州園は中国式庭園なので、琉球王国風のデザインではなく中国風のデザインの龍柱が存在する。その他にも、那覇商業高校の前で「くにんだなかみち」の案内をしている「くにんだなかみちの龍柱」など、伝統的なデザインとは違うユニークな龍柱もいる。キャンプ・フォスター内にある沖縄米国海軍病院の龍柱は、英語で病院の案内をしているアメリカンな龍柱。沖縄では米軍基地内にも龍柱が割とあるが、基地外の龍柱と違って日本人が行くことは難しい。
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