沖縄の通貨交換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 01:36 UTC 版)
「ニクソン・ショック」の記事における「沖縄の通貨交換」の解説
「B円#第五次通貨交換」も参照 1971年夏から年末までの激動がスミソニアン体制の確立で日本経済は落ち着きを取り戻したが、しかし翌1972年春に3年前の日米首脳会談で決定した沖縄返還の時期を迎え、このニクソンショックによる円とドルの為替レートの変更が沖縄に大きな問題を残すこととなった。1971年8月28日からの変動相場制の移行でドルが流通する沖縄は円の実質切り上げで為替差損が発生し、物価が暴騰した。そこで琉球政府(屋良朝苗主席)は「貿易為替差損補償措置」をとり、ドル建て輸入物価の上昇による業者の超過分を琉球政府が負担することで物価の上昇を抑える施策をとった。しかし結局は物価に跳ね返り高騰を招いた。 そして本土復帰時に流通していた法定通貨であるドルから円への通貨交換を行うこととして、その時点での為替レートを参考に公定レートを決定することとなった。1年前には360円の1%前後の固定相場であったレートが、その後変動相場に移り、前年末に308円の2.25%前後の固定相場になって、実質は沖縄県民にとって差損が生じる事態となり、県民の間には元の360円での通貨交換を望む声が強かった。 そして本土復帰直前の1972年5月12日に日本政府はその直前1週間の円とドルの相場の動き(303円50銭~305円50銭)から沖縄の通貨交換レートを305円に決定した。併せて前年10月8日時点での個人の現金預金について360円との差額を保障する「通貨交換に伴う特別給付金支給要綱」を決めて琉球政府に通達した。 1972年5月15日、沖縄返還に伴う通貨交換が実施され、1ドル305円の交換レートで回収額は1億346万ドル、円支払額は315億円に達した。しかし308円の固定レートは復帰後1年も続かず、その後変動相場制に戻って沖縄は以降円高に苦しめられる時期が続くこととなった。
※この「沖縄の通貨交換」の解説は、「ニクソン・ショック」の解説の一部です。
「沖縄の通貨交換」を含む「ニクソン・ショック」の記事については、「ニクソン・ショック」の概要を参照ください。
- 沖縄の通貨交換のページへのリンク