江戸橋駅 - 新松阪駅間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 17:54 UTC 版)
「近鉄伊勢線」の記事における「江戸橋駅 - 新松阪駅間」の解説
伊勢電時代の江戸橋駅は現在より100mほど南にあり、設置当初は棒線駅に過ぎなかったが、参急が路線を延長してきたことで乗換駅となった。次の部田駅は津駅の北東に位置した。津新地駅は新松阪駅への延長の際に移転されており、ここから結城神社前駅までは最後まで残った複線区間である。津新地 - 大神宮前駅は開通当初は全線複線であったが、参急への統合以降単線化が進められていった。続く米津駅と雲出駅は停留所でありながら複線時代の相対式ホームの面影を残していた。香良洲駅は当初2面4線を備えたが、単線化後は1面2線に縮小されていた。雲出川を渡って小野江駅、天白駅と続き、米ノ庄駅は交換設備を有した。松ヶ崎駅は参急との合併後に設けられた駅で、高架上で山田線と連絡した。その後松江駅、本居神社前駅と続き、1947年までは両駅の間に松阪北口駅があった。新松阪駅も盛時には2面4線の威容を誇ったが、廃止時には1面2線に縮小されていた。
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「近鉄道路」も参照 江戸橋駅 - 部田間の路盤の一部は生活道路に転用されている。部田駅に隣接していた変電所は名古屋線用として稼働を続けており、また部田駅のプラットホームは、その残骸が2014年まで三重交通駐車場の片隅に残っていた。安濃川では部田側の岸にのみ橋台跡が残る。津新地駅付近の路盤は市道となり、終着駅であった初代の駅に向かう路盤と、路線延長後に移設された2代目の駅に向かう両方の路盤が確認できる。 岩田川橋梁は伊勢線最大の遺構で、プレートガーター橋に舗装し道路橋(現在の名前は津興橋:つおきばし)として2019年12月24日まで使用されていた。津市は2015年に老朽化や耐震対策などを理由に、橋を取り壊して架け替えることを決めた。従来の岩田川橋梁(津興橋)は平成31年度(令和元年度、2019年度)に撤去される予定で、2018年より工事が始まっており、令和7年度(2025年度)までに純粋な道路橋に架け替えられる予定である。 路盤は香良洲駅付近まで市道となって南下する。雲出川の手前で築堤が現れ、雲出川橋梁の橋脚は継ぎ足した上で水道橋に転用されている。雲出川右岸にはガードの残骸も残る。小野江駅付近から路盤を転用した市道が再び姿を現す。三渡川の手前で市道は消え、三渡川に隣接する用水路の右岸にはかろうじて橋脚跡が残っている。松ヶ崎駅は山田線を乗り越えるガード上にホームがあった。現在そのガードには三重県道756号が通っている。新松阪駅跡は店舗に転用されて跡形も無い。 部田駅ホームの残骸 安濃川に残る橋台跡 右が初代津新地に、左が2代目津新地駅に通じていた。 道路橋に転用された岩田川橋梁
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