水族館の歴史とは? わかりやすく解説

水族館の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 13:35 UTC 版)

水道記念館 (大阪市)」の記事における「水族館の歴史」の解説

1995年大阪市水道局柴島浄水場敷地内開館した2012年7月末で、貝や両生類水草などを含め142種、9,274個体飼育し淡水魚水族館としては全国有数規模で、中には日本天然記念物にも指定されるイタセンパラや、ほか絶滅危惧種アユモドキなど希少種飼育する開館以来累計入場者数100万人超となり、2011度は93,558人の利用者があった。 大阪市橋下徹市長は“水道事業の府市統合”を主張水生生物飼育展示をやめる方針)。2012年4月の飼育について、市長が「水道局やることなのか」、「大阪市水道局単体事業してやるものではない」と、水族館休館させ、コスト外注費)の削減行い8月会合で、水族館としての機能維持難色示し淡水魚一部希少種大阪府環境農林水産総合研究所水生生物センター平日見学可)に移される計画となった水道局は「費用対効果優先順位考えると、水道料金充て続け事業ではないと判断した」とコメントした産経新聞は、水道局水族館を『国内有数コレクション』、『貴重な淡水魚コレクション』と表現している。 2012年4月水道記念館一時休館となり、以降飼育の展示中止となった2012年7月、「淀川水系淡水魚次世代つなぐ会」の長田和 大教育大学名誉教授動物生態学)などの研究者らは、大阪市水族館運営継続要望書提出。市側に「より魅力的な水族館リニューアルしてほしい旨を伝えた。「公益社団法人 大阪自然環境保全協会」も存続求めた。しかし2013年1月、市水道局は、橋下徹市長の“市政改革”の一環として生物展示する水族館打ち切る方針決め市民団体伝えた2013年10月には水道局施設有効活用周辺地域活況期待して水道記念館活用事業者」を募集するが、応募者はなかった。2014年3月、再募集をかけるが、これにも応募者はなかった。 その後2016年8月水道記念館学習施設として一部リニューアルして夏季休暇期間に再度開館し2017年には休日にも開館を行うようになった2018年7月には飼育を続けていたアユモドキ及びイタセンパラ最後個体死亡し、両種の飼育を終了した

※この「水族館の歴史」の解説は、「水道記念館 (大阪市)」の解説の一部です。
「水族館の歴史」を含む「水道記念館 (大阪市)」の記事については、「水道記念館 (大阪市)」の概要を参照ください。

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