水族館の閉鎖
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2002年7月31日に財団法人オホーツク水族館は、今年8月末での水族館の閉鎖を決定した。翌月18日に、1956年6月の開館からの、のべ入館者数が600万人を超えたものの、惜しまれながら31日に閉鎖となった。網走市議会は、同年11月29日に、水族館の、鳥類以外のほとんどの飼育動物たちが他園に譲渡されたことを公表した。また同日に、水族館は、飼育していた天然記念物のオジロワシをおびひろ動物園に移送している。最終的には、飼育していたアザラシやトド、ペンギンなどの海獣は小樽水族館に、また、魚類はノシャップ水族館(稚内市)に、そして4匹いたオジロワシやオオワシなどの鳥類は、円山動物園(札幌市)をはじめ、旭山動物園(旭川市)、おびひろ動物園、釧路市動物園に引き取られた。 2002年11月6日に、財団法人は水族館は清算するため、水族館施設を関西梱包株式会社(大阪)に買収してもらう。また、翌2003年3月20日に網走市議会が担保権の無い貸付金1億5千万円を返済免除する決議を行った。 2003年9月20日に、本間保・元オホーツク水族館館長(66歳)が、脳溢血のため死去する。本間は、水族館閉鎖後の残務整理のため、水族館のそばにある社宅で暮らし、自宅で寝たことはなかったと読売新聞が伝える。本間の伝記は、北海道の歴史を刻んだ人々を記録する『ほっかいどう百年物語 第五集』にも収録されている。また、本間は1997年8月8日、環境庁自然保護局長から表彰されたこともある。 2008年の北海道教育大学は、網走市の観光の状況について、「平成14年を境にして急速に観光客の足が遠退いている。これの原因は網走水族館の閉館と流氷の減少が問題だと思う。平成14年に閉館した網走水族館は網走観光の大きな目玉で、閉館したのはとても大きな痛手だった。これにより二つ岩方面への観光がほとんどなくなり、古くからある商店街などには観光客が入らなくなってしまった。」と論じている。
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