死刑の扱いについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:06 UTC 版)
「極東国際軍事裁判」の記事における「死刑の扱いについて」の解説
死刑は多数決によって決まった。11人の裁判官の内、インドのパールは事後法の禁止や国家行為であることなどを理由にしつつも多分にその専門としていたヒンズー法哲学の思想と価値観から比較的早くから全員無罪論をとり、判決文書きに専念していたとされる。 ソ連はもともと社会主義者の中に死刑廃止といった理想論があったが、過酷な反革命の内戦や諸外国からの干渉戦争により、死刑が行われていた。戦争終結によりスターリンは平和と共産主義の理想を表向きアピールするために死刑を廃止、ザリヤノフは自国で死刑を廃止したことを理由に被告人に死刑を適用しないこととした。オーストラリアのウェッブは本来殺人への死刑適用が苛烈なイギリス系の国であるが、彼自身が最大の責任者である可能性があると考える天皇が訴追されていないこと、ナチスの行為にくらべれば軽くそれとの比較から、これで被告人に死刑を科するのはバランスを失するとして被告人らに死刑を適用しないこととした。AP通信のホワイト特派員がアメリカからの情報として、ウェッブが死刑を適用しない理由として自国で死刑を適用していないことを報じているが、これはホワイト特派員かその情報提供者のいずれかがソ連の話を混同したものだと思われる。(この頃、オーストラリアではいずれの州や連邦でも死刑は廃止されておらず、各州で廃止され出したのはイギリスにやや遅れて1960年代後半の死刑廃止運動以降である。) また、ウェッブの判決書でも死刑を科さない理由として天皇不起訴との関係しか書かれていない(ただし、報道陣には判決後にナチスと比べれば悪質性がまだ低いので差をつける必要性についても語っている)。この3人を絶対非死刑論者として、オランダのレーリンク、フランスのベルナールが日本と同じ大陸法の国で法感覚が共通すること、また、両国とも戦後の植民地回復を目指しており、その帝国主義的な国民感情が意識に入り込むことが避けられなかったのか、日本側に比較的理解を示している。 東京裁判を取材する報道陣の間では、判決が近づくにつれ、関係者の取材から得た情報か、虐殺などに関わっていなければ死刑はないだろうとの観測が出ていた。結果を見ると、この観測自体は当たっていたのだが、日本と英米法の殺人の概念に違いがあり、報道陣多くの理解に反し、木村と広田は死刑となった。また、きわどいと見られていた嶋田は、太平洋での虐殺が果たして軍中枢の指示があったものか証明が難しく事実認定の問題で虐殺の責任は免れた。
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