武水別神社の頭人行事
名称: | 武水別神社の頭人行事 |
ふりがな: | ぶすいべつじんじゃのとうにんぎょうじ |
種別1: | 風俗習慣 |
保護団体名: | 武水別神社頭人行事保存会 |
選択年月日: | 1986.12.17(昭和61.12.17) |
都道府県(列記): | 長野県 |
市区町村(列記): | 更埴市八幡 |
代表都道府県: | 長野県 |
備考: | 所在地が同一都道府県内のもの(このデータは種別1から移行しています) |
解説文: | 長野県更埴市八幡の武水別神社は、式内の古社で、旧更級郡八幡村【さらしなぐんやわたむら】・更級村及び旧埴科郡【はにしなぐん】五加村の三か村二一字の総鎮守で、東日本では珍しい古式のとうや行事を残している。 この神社の大頭【だいとう】祭は、十二月十日から十五日にかけて行われ、選出された五人の頭人(とうやの主人のこと。一番頭から五番頭まであり、順々に連日御供を献納する序列は最下位の五番頭から四番頭、二番頭、一番頭、三番頭の順である)が、新穀の餅(御供【ごくう】と称する)を献供するもので、もとは霜月(十一月)に実施されていた。祭りの名は、最上位の頭人(三番頭)を大頭【だいとう】と称するところから由来している。 頭人は、一年間「本頭」、九年間「脇頭【わきとう】(頭人を勤めた翌年から九年間、御供を献じる者)」として、一〇年間新穀の餅を献供し続ける。献供して十一年目にして、その子が次の上位の番の頭人の資格を得るという掟が現在も厳守されており、五代目(最小限五〇年間ほどを要する)に及んで始めて最上位の大頭を勤める資格を有するのである。一度大頭の役を勤めた家は「大頭筋【だいとうすじ】」と称され、地域社会において高い家格を得たとされる。 頭人行事の始まりは十二月十五日で、夕刻から頭人の選出があり、お頭組編成が行われる。十六日に「お頭渡し」、「お頭受け」を行い、松丸太や笹竹による「オハッカイ」という祭壇を、頭人の家の門口あるいは庭隅に設ける(現在は宮司の家の庭に設ける)。二十一日以後の日に「初口開【はつくちあ】け」の祭りを行う。かつては、頭人は、これ以後、翌年の祭りまで毎朝オハッカイを拝礼した。また、初口開けの祭りの日、親類知人を招いて振舞いを行った。この後に、オハッカイの四方を萱筵【かやむしろ】で巻いておく。 翌春以降「御供田【ごくうだ】」(御供の稲を耕作する頭人の田)での「御田植え」、稲から穂を抜いてオハッカイに掛ける「八重じめ祭り」、十二月初めには大頭の「釜清め」をして「御供の餅つき」を行う。頭人は「コショウジン」と称し、「オネリ(頭人以下五役が揃って、行列をつくり、神社にお参りする)」前一週間自宅の一室に忌籠り別火生活をする。祭り当日は頭人は口をきかず無言の状態で一日を過ごす。オハッカイ前で「出立ち」の儀式を行った後、「中宿【なかやと】」となる斎【さい】の森で夕刻まで過ごし、「トウドノサマ」と尊称され、村人たちの参詣を受ける。夕刻、頭人は斎の森を出発して神社に向かい、参拝の後、馬に積んできた御供(餅)・御米・御菜・御薪を御供所に納め、帰宅する。オネリの翌日の夜、頭人と脇頭の御供積【ごくづみ】の行事が行われる。十二月十七日から十九日の間がオハッカイアゲでオハッカイに神饌【しんせん】をあげ、各頭の頭人らが拝礼後にオハッカイを焚きあげ、灰は清浄な場所に捨てる。 武水別神社の頭人行事は、頭人が一年間の諸準備、物忌【ものいみ】生活を経て、俗人から頭人へと神格化して行く過程を明確に知ることができる行事であり、東日本では珍しい古式のとうや行事をよく伝えるものである。 |
祭礼(信仰): | 村山地方のオナカマ習俗 東松山上岡観音の絵馬市の習俗 栃窪の天念仏 武水別神社の頭人行事 武蔵府中の大鼓講の習俗 氣比神社の絵馬市の習俗 水法の芝馬祭 |
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