横浜市の復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 06:13 UTC 版)
関東大震災の震源は小田原市で、震源域の真上に位置していた横浜の震度は7とされているが、帝都復興院幹部会で復興計画大網を決定し、横浜市側もこれに準じて漸次審議される。東京については復興基礎案は閣議に付されていたが、横浜市に関しては、復興院の基礎案成立まで待つこととなる。その間東京では復興案が早くに東京市案、市政調査会案、内務省都市計画局案、同省土木局案などが復興院に提出されている。 この時期横浜市は都市計画局長坂田貞明が病死、そのため、後藤新平の推薦を受けて、9月24日、牧彦七の横浜市都市計画局長の就任を決定する。また原富太郎を会長とし、政財界関係者があつまり横浜市復興会が結成される。 震災から20日ほどで、横浜市は復興試案を立案、公館地帯という官庁街と、公園と遊歩道とを組み合わせた緑地ネットワーク構想をおいている。被災経験と実際の公園ストックの必要性から、試案ではとくに公園計画に力を入れている。都心の横浜公園付近と遊郭街跡地に2つの円形公園を予定、公館地帯にも大公園を予定していた。さらにこれらの公園間に広幅員の連絡道路が計画されているほか、公館地帯と横浜駅とを直線道路で結んでいる。また遊歩道の計画を受けて瓦礫処分地を遊歩道予定地に決定する。10月14日には横浜市は、牧を中心に、後藤敬吉、緒方最ら都市計画局の技師と今井哲、木村喬らの都市計画神奈川地方委員会技師(県職員)らと協力して、想定人口80万、伊勢山地区を中心に都市基幹整備から11の公園と海岸沿いの公園、逍遥道路を有した計画案が立案される。先の計画案が横浜市復興会で審議されるが、意見がまとまらずに、11月13日に政府へ提出されている。 11月15日には、当初予定された予算を抑えられたことにより、市の案を縮小した復興計画政府原案が発表され、山下公園以下4つの公園計画が盛り込まれている。その他、別の横浜市の復興計画が政府筋に2案提出されている。ひとつは土木学会からのもので11月19日に、もうひとつは横浜市復興会からのもので、12月26日に提出されている。 横浜市でも橋梁事業は執行され、平沼橋・築地橋など復興局担当が35橋、横浜市が64(市負担の小橋等除く)であった。 またこのとき、街路工事に伴って隧道が2か所新設された。国が執行の山手隧道がそれで東京市による愛宕山の隧道とともに、今日でも使われている。
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