横浜市万治病院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 05:25 UTC 版)
「横浜市立脳卒中・神経脊椎センター」の記事における「横浜市万治病院」の解説
当時の横浜港では検疫制度が未熟であったことから、1870年(明治3年)には天然痘、1877年にはコレラが流行するなど、明治初期の横浜では様々な感染症が流行した。ヘスペリア号事件をきっかけにして、1879年(明治12年)に久良岐郡吉田新田に病者収容所として開設された。1883年(明治16年)には神奈川県に、1891年(明治24年)3月には横浜市に移管された。1897年(明治30年)に「横浜市伝染病院」、1900年(明治33年)には「横浜市万治病院」と名称を変えた。1922年(大正11年)に滝頭町に移転し、感染症専門病院として運営された万治病院であるが、横浜市立市民病院に感染症医療機能が集約されることになり、1991年(平成3年)3月31日に閉院となった。現在は跡地に「横浜市立脳卒中・神経脊椎センター」が建てられており、入口付近の植え込みには「万治病院跡地」と書かれた石碑が設置されている。
※この「横浜市万治病院」の解説は、「横浜市立脳卒中・神経脊椎センター」の解説の一部です。
「横浜市万治病院」を含む「横浜市立脳卒中・神経脊椎センター」の記事については、「横浜市立脳卒中・神経脊椎センター」の概要を参照ください。
- 横浜市万治病院のページへのリンク