検察が捜査に踏切った理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 01:25 UTC 版)
「ライブドア事件」の記事における「検察が捜査に踏切った理由」の解説
東京地検特捜部が得意としてきた政界の汚職捜査は、自民党旧田中派の終焉や、利権がはびこる公共事業の縮小を受け、従来型の「巨悪政治家」の摘発という存在意義が揺らいできたといわれていて、2004年の日歯連闇献金事件での村岡兼造の起訴は攻めやすい人物を狙い撃ちしただけという批判があった。従来型の政界捜査が行き詰まりをみせるなか、当時の検事総長の松尾邦弘は、経済犯罪、金融・証券犯罪をより重視する姿勢を鮮明にしていた。経済・金融の規制緩和が進んだため、事前規制型社会から事後チェック型社会への移行にともない、社会において司法の果たす役割が大きくなっているというのが理由だったとされる。 ライブドアの株式市場の私物化、政治や経済までを牛耳ろうとする同社や堀江貴文の姿勢に対する政財界の危機感が理由にあげられている。また、東京地検元特捜部長の大鶴基成の、「額に汗して働く人、リストラされ働けない人、違反すれば儲かると分かっていても法律を遵守している企業の人たちが憤慨するような事案を万難を排しても摘発したい」という発言にみられるような国民感情を代弁したかったということもあげられている。このため、ライブドア事件の捜査は規制緩和が進んだ新自由主義の行き過ぎを是正するための国策捜査だったのではないかという指摘もある。佐藤優は、国策捜査は「時代のけじめ」をつけるためにおこなわれると述べているが、実際、日本が銀行の不良債権問題に起因した長期不況にあえいでいたころ、堀江は規制緩和と過剰流動性という金余りを享受していた。しかし、竹中平蔵が金融担当大臣に就任してからは銀行の不良債権問題は解決に向かい、それにつれ景気は回復し、日本銀行は2006年3月9日、過剰流動性を生んだ量的緩和の解除を決めた。そのような時代の転換点に強制捜査がおこなわれたという。 ライブドアに買収されそうになったフジテレビは調査チームを設置し、ライブドアの違法行為をみつけ出して検察に摘発を打診していたという説がある。特捜部も、ライブドアのニッポン放送株大量取得以降、堀江について具体的に内偵を始めていたといわれる。実際、特捜部の事情聴取を受けたあるライブドア幹部は検事から「フジテレビからおたくのデューディリジェンス(資産査定)の内容は聞いているのだぞ」といわれたという[要出典]。フジテレビはライブドアからニッポン放送株を取り戻す際、大手監査法人を使って厳格な資産査定をおこなっている。 ライブドア事件の捜査には証券取引等監視委員会に出向していた斎藤隆博の存在も大きかったといわれている。斎藤がいなかったらライブドアや村上ファンドを捜査することはできなかっただろうという声が検察内部には根強いという。
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