桂米朝一門
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米朝一門(べいちょういちもん)は、「上方落語の四天王」の1人、人間国宝・3代目桂米朝を師と仰ぐ落語家の一派。「桂米朝一門会」などの興行を打つ。また、主に一門の若手のための舞台として「桂米朝落語研究会」を催している。 上方落語の他の一門の多くは吉本興業あるいは松竹芸能に所属するのに対し、同一門の大半が独立した米朝事務所に所属しているのが特徴である。 現在の一門の実質的な止め名は「米團治」である。当代の米團治は5代目(2008年に襲名)。米團治系統の名跡は「米歌子」「米之助」「米朝」「米團治」「文團治」「文治」の順に名前が大きくなる。先代文團治の惣領弟子、4代目文紅の死後は、大本である文團治系統全体の嫡流となったが、現時点で5代目文團治襲名を一門内の誰かが行うという話は無い。 他にも「塩鯛」「米喬」「米紫」「小米」「米若」「米太郎」等がある。尚「枝雀」「ざこば」「南光」「文我」「歌之助」は米團治系とは関係がない。 文團治系の他の系統には、同じ上方の桂春団治一門、江戸落語の桂小文治一門がいる。東西合わせてこれらの親戚筋を併せた一門総数は150名を越え、東西落語界の最大勢力となっている。 一時橘ノ圓都門下の橘家圓三は米朝の預かり弟子であった。また、6代目小文吾(6代目文吾)の上方での復帰を後押ししたことでも知られる。 また可朝以下弟子を可朝一門、うち八方以下弟子は月亭一門と呼ぶ。過去、月亭を名乗った落語家は江戸時代の月亭生瀬、明治時代の月亭文都一門などがいるが、これらは何れも桂一門の本流である文治→文枝一門の分派である。なお月亭文都(桂文都としては2代目)と米朝一門の源流・初代桂文團治は兄弟弟子であった。文都の名は可朝の孫弟子・月亭八天が2013年に7代目を襲名した。 3代目米朝以前の系図は4代目桂米團治・桂文團治を参照。 米朝 (3)† 米紫 (3)† 月亭可朝† 八方(顧問) 遊方 太遊 ハッピー 遊真 ハッチ 希遊 文都 (7) 天使 八光 秀都 方正 柳正 八斗 方気 八織 枝雀 (2)† 音也† 南光 (3) 南天 (2) 天吾 雀三郎 (3) 雀喜 雀五郎 文之助 (3) 雀太 源太 雀々 優々 九雀 九ノ一 九寿玉 文我 (4) まん我 む雀 紅雀 ざこば (2)(相談役) 塩鯛 (4) 米紫 (4) 喜丸† 鯛蔵 (2) 出丸 小鯛 わかば ※鯛介 ひろば ちょうば そうば 朝太郎(顧問) あおば 米蔵 りょうば 歌之助 (2)† 歌之助 (3) 小米 (11)† 米太郎 (2)† 米輔 鞠輔 吉朝† あさ吉 吉弥 弥太郎 弥っこ 弥壱 よね吉 ※よね一 しん吉 吉坊 千朝 佐ん吉 米八† 吉の丞 米二 二乗 二葉 二豆 米團治 (5)(副会長) 團治郎 勢朝 米輝 米平 慶治朗 米裕 米左 團朝 八十八 (2) すずめ (3)(三林京子)
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