可朝一門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 00:32 UTC 版)
「月亭一門」と言えば、月亭八方一門を指すことが多く、この項では基本的に、「可朝一門」と記述する。 可朝は、弟子の命名に際してはすべて「八」ないしカタカナの「ハ」の字を付けた。これは、恩人である元・吉本興業社長の八田竹男にちなむものである。吉本脱退後に取った末弟子のみ自分の一字をとって「可林」とした。 可朝の弟子に対する態度は、自由尊重に近く、八方が可朝に入門した理由の一つも「すぐに高座に出られそうだから」で、実際に入ってすぐに高座に出られた(ただし、八方は厳格な一面を持つ。この件については月亭八方を参照)この教育方針は、弟子の個性尊重にも繋がっており、一門のうち、八方は自作と古典、更にはタレント活動、ハッピーは音楽を取り入れ、ハッチは古典を演じるなど、師匠・可朝の持つ多面性が可朝の亡き後も弟子達に分かれて受け継がれていると言える。 しかし、可朝が米朝一門と疎遠になるのと同じように、可朝と八方も疎遠気味となったとされる。可朝は晩年に受けたインタビューで「八方とは4、50年、交流ないで」と語り、顔も見せないのに借金まみれ・行方不明などで自らをネタにする八方に苦言を呈している。一方の八方は米朝の葬儀で会ったのが最後としているが(前述の可朝の発言は米朝死去後のもの)、「月亭の屋号も使用させてもらって感謝しかない」としつつ「好きとか嫌いとかが波のようにきましたね。20年くらい前は大嫌いでしたけど、平らにしたら50点くらいかな」と、師・可朝に対し愛憎入り混じった感情を抱いていたことを明かしている。 孫弟子の八光は父の師匠である可朝に弟子入りするつもりだったが、親子で兄弟弟子になり関係性がややこしくなること、可朝が他事務所へ移籍した後であったため親子での仕事がしづらくなること、「父に面倒を見てもらえばよい」という可朝の考えなどの理由で却下された。 直弟子月亭八方 月亭ハッピー 月亭ハッチ 月亭可林(現在の消息は不明) 孫弟子(いずれも八方の弟子)月亭遊方 7代目月亭文都 月亭八光 月亭方正(旧芸名・山崎邦正) 月亭八斗 月亭方気 月亭八織 ひ孫弟子月亭太遊(遊方の弟子) 月亭禄遊(遊方の弟子、後に廃業) 月亭天使(7代目文都の弟子) 月亭秀都(7代目文都の弟子)
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