可汗国の崩壊後とは? わかりやすく解説

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可汗国の崩壊後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:30 UTC 版)

回鶻」の記事における「可汗国の崩壊後」の解説

回鶻可汗国崩壊後モンゴル高原支配したのは黠戛斯キルギスであったが、その支配長続きせず、860年代には東方タタル族によって高原追い出されてしまう。このタタル族漢籍では「阻卜」・「達旦」と記されウイグル碑文イェニセイ碑文では「トクズ・タタル(九姓タタル)」・「トクズ・タタル・イル(九姓タタル国)」と記される集団であり、回鶻可汗国崩壊後から11世紀に至るモンゴリア空白時期埋め漠北政権である。やがて九姓タタル契丹(遼)に服属すると、モンゴル高原諸部族割拠する時代入りモンゴル帝国現れるまで統一政権生まれなくなる。 一方回鶻いくつかの勢力逃げ延び地域で力を持ち天山ウイグル王国甘州ウイグル王国などの諸王国が生まれることとなった中でも天山ウイグルモンゴル支配下にあって存在し続け13世紀までその勢力を保つ。

※この「可汗国の崩壊後」の解説は、「回鶻」の解説の一部です。
「可汗国の崩壊後」を含む「回鶻」の記事については、「回鶻」の概要を参照ください。

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