可搬式鉄道の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 06:07 UTC 版)
翌1876年からポールは輸送方式を可搬式鉄道に切り替え、農場内での厩肥の輸送や工場間の物資運搬に使い、軌匤と車両の改良も約1年にわたって続けた。可搬式鉄道の優位性を証明するため、ドコービルはロワレ県のTramway de Pithiviers a Toury(TPT)にドコービル・システムを初めて販売している。1877年には農園を廃業し、可搬式鉄道を工業的に生産することに専念した。軌間は400mmから500mm、600mmと次第に広がり、機関車と貨車の開発にも乗り出した。1880年には3,000件もの注文があり、ドコ-ビルはコルベイユの工場を80,000平方メートルに拡張した。TPTへの販売からわずか2年でドコービル・システムは世界中で使用されるようになった。 国ごとの販売件数国1878年時点フランス202 ベルギー9 イギリス8 アルザス6 スイス5 ブラジル4 ロシア3 アルジェリア, オーストリア, エジプト, モーリシャス, マルティニーク, ポルトガル2 コーチシナ, 南アフリカ, ギリシャ, オランダH, バーボン諸島, セーシェル, イタリア, ジャマイカ, メキシコ, モナコ, ノルウェイ1 この統計が取られた1878年のパリ万国博覧会で500mm軌間の鉄道が2kmにわたって展示された。当初旅客を乗せる予定だったが、認可が下りず、旅客輸送は行われなかった。後に同型の鉄道がブローニュの森にある動物園内鉄道として敷設されており、これは現存している。 メキシコのユカタン州ではアシエンダ制で生産されたエネケンの輸送用として総延長は4,500kmに達する路線が敷設され、この地域の大量輸送機関のデ・ファクト・スタンダードとなった。アシエンダ制の廃止後も小規模な路線が残り、ロバが荷物をけん引している。 ポルトガルには2か所の合計延長10kmの600mm軌間の季節運行の観光客向けの路線が残っている。 観光鉄道(ポルトガル) 線路 橋梁 信号所
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