株式会社丸う田代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 20:10 UTC 版)
1991年に株式会社丸う田代商店から株式会社丸う田代に商号変更。同業者であり、2019年6月に破産手続開始決定を受けた美濃屋吉兵衛商店とは、丸う田代が所有する不動産を美濃屋吉兵衛商店へ賃貸するなどの関係があった。 販売ルートは、直営店の他にも、築地市場や豊洲市場などの市場を経由してスーパーや百貨店へ販売を行っていた他、高速道路のサービスエリアや箱根・小田原地区の土産物販売店にも販路を拡大し、1992年3月期には25億6300万円の売上があった。 しかし、2002年に経理担当役員が約20年にわたって、8億5000万円の横領を行っていたことが発覚した他、過去の不動産所得に伴う借入金や、リストラや横領事件費用により、2013年3月期に債務超過へ転落。さらに、嗜好の変化や消費低迷、大涌谷における火山活動などによる箱根・伊豆地区の土産物販売が低迷したことなどや、同業者間の競争から業績が悪化。このため丸う田代は、2015年から神奈川県中小企業再生支援協議会の支援を受けることになり、丸う田代は2025年までの長期経営計画を策定し、不採算事業からの撤退を行うなどの再建計画を策定したが、それでも借入金が年商を上回りかつ債務超過に陥るなど資金繰りが悪化していき、複数の取引先への支払遅延や支払延期要請が表面化したことで対外信用が失墜した。 2020年3月期の売上も14億5298万円に留まり、7205万円の最終赤字に陥ったと同時に、5期連続で欠損を計上。さらに、2020年に発生した新型コロナウイルスにより直営店や取引先のの売上が低下するなど経営が悪化。 このため丸う田代は、製造に携わっていた従業員を解雇し、自社製品を在庫対応に切り替えるなどの経営改善を図った他、支援スポンサーを探すことになった。政府による実質無利子・無担保融資も受けることも不可能となった他、最終的にスポンサーを見つけることはできなかった。このため丸う田代は、2020年10月1日に事後処理を弁護士に一任した。同年10月11日に全ての直営店の営業が終了し、同年11月27日に横浜地方裁判所小田原支部へ破産を申請し、同年12月1日に破産手続開始決定を受けた。負債総額は24億2400万円。小田原市に本社を置く老舗企業の倒産は美濃屋吉兵衛商店以来となった。加盟していた小田原蒲鉾協同組合も、破産手続開始決定により退会した。 丸う田代の公式twitterでは、「経営環境の変化と今後の動向を見据えここで一旦、150年続きましたこの暖簾を畳むことにいたしました。 大変残念な選択ではございますが、次のステージを目指すことができるうちにとの一大決心でございます。 皆様には、長きにわたりご愛顧いただきましたことに心より御礼申し上げます」と発表している。 丸う田代と同業者であった美濃屋吉兵衛商店が経営破綻に追いやられた共通要因は、業容拡大に伴う多額の借入金、内部管理体制におけるコーポレート・ガバナンスの甘さ、地元の観光需要に左右されるビジネスモデルなどとされている。 2020年10月時点では、小田原市に直営店2店舗を展開していた。
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