板石塔婆
主名称: | 板石塔婆 |
指定番号: | 5 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1936.05.06(昭和11.05.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 建治二年三月六日ノ銘アリ |
員数: | 1基 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1276 |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の資料。 |
考古資料: | 東京都前田耕地遺跡出土品 東京都寺改戸遺跡土壙出土品 板彫五輪塔 板石塔婆 板碑 栃木県根古谷台遺跡土壙出土品 栃木県藤岡神社遺跡出土品 |
板碑
(板石塔婆 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/23 04:14 UTC 版)
![]() |
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
|
板碑(いたび)は、主に供養塔として使われる石碑の一種である。板石卒塔婆、板石塔婆と呼ばれ、特に典型的なものとしてイメージされる武蔵型板碑は、秩父産の緑色片岩を加工して造られるため、青石塔婆とも呼ばれる。
構造
板碑は中世仏教で使われた供養塔である。基本構造は、板状に加工した石材に梵字=種子(しゅじ)や被供養者名、供養年月日、供養内容を刻んだものである。頭部に二条線が刻まれる。実際には省略される部位分もある。
概要
分布地域は主に関東であるが、日本全国に分布する。設立時期は、鎌倉時代から室町時代前期に集中している。分布地域も、鎌倉武士の本貫地とその所領に限られ、鎌倉武士の信仰に強く関連すると考えられている。
種類としては追善(順修)供養、逆修板碑などがある。形状や石材、分布地域によって武蔵型板碑、下総型板碑などに分類される。
武蔵型とは秩父・長瀞地域から産出される緑色片岩という青みがかった石材で造られたものをさす。当時から、緑色片岩を「青石」と通称していた。中世においては青屋は、ある種の畏敬の対象とされており、このような観点から青色には人智を超えたものがあったとも考えられている。阿波周辺域からも同様の石材が産出するため、主に関東平野に流通する緑色片岩製の板碑を武蔵型、四国近辺に流通していたものを阿波型と分類している。また下総型とは主に茨城県にある筑波山から産出される黒雲母片岩製の板碑をさしている。
戦国期以降になると、急激に廃れ、既存の板碑も廃棄されたり用水路の蓋などに転用されたものもある。現代の卒塔婆に繋がる。
板碑は地域・時代等により形態や石材に多様性があり、地域間交流を知る考古資料として注目されている。
-
板碑(阿弥陀三尊種子) 東京都あきる野市高尾出土 康正3年(1457年)(東京国立博物館蔵)
脚注
![]() |
この節の加筆が望まれています。
|
- ^ 東京国立博物館所蔵の板碑の名称、出土地、年代の特定は中世のあの世とこの世(東京国立博物館サイト)及び東京国立博物館画像検索による。
参考文献
- 小澤國平 『板碑入門』隣人社〈日本史研究入門叢書〉、1967年。NCID BN09001110。
- 服部清五郎『板碑概説』鳳鳴書院、1933年
- 千々和実『板碑源流考―民衆仏教成立史の研究―』吉川弘文館、1987年
- 千々和到『板碑とその時代』平凡社、1988年
- 播磨定男『中世の板碑文化』東京美術、1989年
関連項目
板石塔婆と同じ種類の言葉
- 板石塔婆のページへのリンク