「伝 畠山重忠の墓」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/27 08:50 UTC 版)
「大六天 (飯能市)」の記事における「「伝 畠山重忠の墓」」の解説
この板石塔婆は元久2年(1205年)に武州二俣川(現・神奈川県横浜市旭区二俣川)で敗れた畠山重忠の墓であるという伝説がある。伝承によると、重忠の遺骸を家臣が車で秩父に運んでいる途中、当時この付近にあった「飯能の車返しの坂」で動かなくなり、重忠の霊がそうさせていると察してこの地に葬ったと言われている。さらに、この光景を見た当地の人々は重忠が鎌倉にいた頃を懐かしんでここから振り返ったのだろうと思い巡らせ、この坂を「見返り坂」と名付けたという。 ただし、史実では重忠が二俣川で敗れた後、遺骸はそのまま同地に葬られたとされており、墓所についても重忠生誕の地である旧武蔵国男衾郡畠山郷(現・埼玉県深谷市畠山、「畠山重忠公史跡公園」内)に所在している。 縦に裂け空洞化した白樫の大樹 根元に食い込んだ2基の板石塔婆 「伝 畠山重忠の墓」と記された木札
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