服部清道
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服部 清道(はっとり せいどう、1904年3月4日[1] - 1997年7月19日[2])は、日本の郷土史家、教員。
経歴
茨城県生まれ。清五郎と名付けられる。1929年に大正大学予科を卒業[3]し、さらに同大学文学部史学科に進学し、1932年に卒業[4]。1936年に比叡山専修院に入学し仏教学を学び、1941年3月に卒業[5]。藤嶺学園で教員を務めたのち、横浜商科大学教授となり、藤沢市文化財保護委員会委員長、湘南考古同好会会長なども務めた。鳥居龍蔵が主宰する武蔵野会に入会し、鳥居から仏教考古学を勧められ、また同会で三輪善之助の指導を得て、板碑を研究とするようになる[1]。1953年、「戒壇の研究」により法政大学から文学博士の学位を授与される。
参考文献
- 中村古峡「服部君と僕」1933年。(服部清五郎『板碑概説』鳳鳴書院、1933年、9-14頁。全国書誌番号:55006845。)
- 縣敏夫『服部清道と『板碑概説』 : ある板碑研究者の歩み』揺籃社、1998年。 NCID BA37589121。
- 坂誥秀一「服部清道氏の訃」『日本歴史』第594号、吉川弘文館、1997年、140頁。
- 日本歴史学会 編『日本史研究者辞典』吉川弘文館、1999年、22頁。
- 服部清道「落陽」『史迹と美術』第49巻第4号、史迹美術同攷会、1979年、150-154頁。
- 服部清道「歴史と私」『歴史手帖』第16巻第11号、名著出版、1988年、3頁、 NCID AN00338842。
出典
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