松本泰(まつもと・たい)
本名松本泰三。1887年(明20)、東京生まれ。慶応大学文学部卒。夫人である翻訳家の恵子とともに、田河水泡の仲人を務めた。イギリス留学前は「三田文学」同人。「新青年」を本拠地としない戦前には珍しい作家。
1911年(明44)、「三田文学」に「樹陰」を発表。
1921年(大10)、東京の東中野に文化住宅を十軒以上建設し、文士が入居、「谷戸の文化村」と呼ばれた。
1921年(大10)、探偵小説「濃霧」を「大阪毎日新聞夕刊」に掲載。ただし、探偵小説の処女作は「面白倶楽部」に発表した「彼の犯罪」であるという。
1922年(大11)、探偵小説「三つの指紋」「呪の家」を刊行。「三つの指紋」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第一号(1925年版)」に収録される。
1923年(大12)、杢蓮社を興し、雑誌「秘密探偵雑誌」を刊行。
1925年(大14)、雑誌「探偵文芸」を刊行。城昌幸を生み出す。
1926年(大15)、「苦楽」に発表した「秘められたる挿話」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第ニ号(1926年版)」に収録される。
翻訳も多数あり、1927年(昭2)、夫人の恵子の助力を得て、クリスティの長編のはじめての邦訳として「アクロイド殺害事件」の抄訳を「アクロイド殺し」として「苦楽」に掲載。
1939年(昭14)、リューマチのため死去。
松本泰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/18 22:33 UTC 版)
松本 泰 | |
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誕生 |
松本 泰三 1887年2月22日 東京芝区 |
死没 | 1939年4月19日(52歳没) |
墓地 | 青山霊園1ロ20-19 |
職業 | 小説家、翻訳家 |
国籍 |
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最終学歴 | 慶應義塾大学部文学科 |
活動期間 | 1911年 - 1939年 |
文学活動 |
三田文学 犯罪小説 |
代表作 |
『清風荘事件』 『三つの指紋』 |
デビュー作 | 『樹陰』(1911年) |
配偶者 | 松本恵子 |
親族 | 伊藤一隆(義父) |
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1887年2月22日 - 1939年4月19日)は、日本の小説家、推理作家、翻訳家。本名は (まつもと たいぞう)。
(まつもと たい、妻の松本恵子も作家で、北海道庁初代水産課課長伊藤一隆の二女。
経歴
東京府芝区に生まれる[1]。慶應義塾大学部文学科卒業。学生時代の1911年に、少年を主人公にした自伝的小説「樹陰」を『三田文学』に発表し、『スバル』や『雄弁』などにも同傾向の作品を執筆した。これらはのちに最初の作品集『天鵞絨』(籾山書店、1913年3月)にまとめられた。同書刊行の1913年にイギリスへ遊学、1919年に帰国した。帰国後は、髙島屋に勤務しながら、『三田文学』などを舞台に、英国での経験を材料にした創作を発表した。
みずから奎運社を興して『秘密探偵雑誌』(のち『探偵文藝』と改題)を発刊し、探偵小説の創作や翻訳に活躍した。とくに、「犯罪小説」と呼ばれる分野での先駆者として知られている。
探偵作家の牙城であった雑誌『新青年』には1篇しか作品を発表していない。そのため、作風や探偵小説に対する考え方に関しても、いわゆる『新青年』系統の作家たちとは一線を画する存在であった。
翻訳家としても『ノートルダムの傴僂男』などの訳がある。
1939年、腸癌により死去。
作品リスト
- 『松本泰探偵小説選 1』(論創社、論創ミステリ叢書 4) 2004年2月 ISBN 4-8460-0409-0
- 『松本泰探偵小説選 2』(論創社、論創ミステリ叢書 5) 2004年3月 ISBN 4-8460-0411-2
脚注
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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