東京港の整備の開始と芝浦駅の開設
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「東京都港湾局専用線」の記事における「東京港の整備の開始と芝浦駅の開設」の解説
東京においては、長らく対外貿易を横浜港に依存した体制が続いており、東京港の本格的な整備は遅れていた。これは、東京港が整備されて対外貿易を開始すると横浜港が衰退するとして、横浜港関係者から強い反対運動が繰り広げられていたこと、軍関係者が防衛上の理由から帝都への外国からの船の乗り入れを嫌ったことなどが理由として挙げられる。このため東京においては河川水運や荷車等を除けば、輸送をもっぱら鉄道に頼る時代が続いた。 しかし1923年(大正12年)に関東大震災が発生して陸上の交通網が壊滅すると、大規模な港を持たない東京では救援活動に大きな苦労をすることになった。これをきっかけに東京港の本格的な整備が開始されることになり、まず芝浦地区に日の出埠頭が建設され1926年(大正15年)3月に供用開始された。さらに1932年(昭和7年)に芝浦埠頭、1933年(昭和8年)に竹芝埠頭と順次整備が進められていった。この全長2.8 kmの「芝浦臨港線」は1928年(昭和3年)10月に着工し、工費27万円あまりを費やして1930年(昭和5年)7月に完成し、8月1日に日の出埠頭付近に貨物駅の芝浦駅が開業した。この路線は国鉄の営業線の扱いで、東海道本線の貨物支線とされた。また、当初は汐留駅から一旦浜松町駅付近に設置された引き上げ線まで進んで、そこから折り返す形で芝浦駅に向かう配線とされていた。首都高速道路や東海道新幹線の建設に伴う汐留駅改良工事を受けて、1962年(昭和37年)7月15日から汐留駅から芝浦駅へ直接入れるように線形が修正された。後にゆりかもめが1962年以降の臨港線経路にほぼ沿って建設されている。 東京港は長らく国内輸送に限定されてきたが、日中戦争の拡大に伴う大陸方面への輸送急増に対処するために、1941年(昭和16年)5月20日に対外開港となった。この時点では逓信省令別表により、中華民国・満州国・関東州に対する貿易に限定されていたが、1948年(昭和23年)の港則法制定により制限は撤廃されている。 やはり日中戦争の拡大に伴い陸軍は芝浦埠頭を軍需用に利用することになり、芝浦駅から総延長4,179 mの専用線を芝浦埠頭まで延長して1941年(昭和16年)9月から軍専用として使用した。第二次世界大戦後、進駐軍は東京港の埠頭を接収して軍専用に利用し、臨港鉄道も同様に接収を受けた。1953年(昭和28年)から段階的に返還が始まり、1958年(昭和33年)に全面返還された。 「芝浦駅」も参照
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