東京港の整備の開始と芝浦駅の開設とは? わかりやすく解説

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東京港の整備の開始と芝浦駅の開設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 17:53 UTC 版)

東京都港湾局専用線」の記事における「東京港の整備の開始と芝浦駅の開設」の解説

東京においては長らく対外貿易横浜港依存した体制続いており、東京港本格的な整備遅れていた。これは、東京港整備され対外貿易開始する横浜港衰退するとして、横浜港関係者から強い反対運動繰り広げられていたこと、軍関係者防衛上の理由から帝都への外国からの船の乗り入れ嫌ったことなどが理由として挙げられるこのため東京においては河川水運荷車等を除けば輸送もっぱら鉄道に頼る時代続いた。 しかし1923年大正12年)に関東大震災発生して陸上交通網壊滅すると、大規模な港を持たない東京では救援活動大きな苦労をすることになった。これをきっかけ東京港本格的な整備開始されることになり、まず芝浦地区日の出埠頭建設され1926年大正15年3月供用開始された。さらに1932年昭和7年)に芝浦埠頭1933年昭和8年)に竹芝埠頭順次整備進められていった。この全長2.8 kmの「芝浦臨港線」は1928年昭和3年10月着工し工費27万円あまりを費やして1930年昭和5年7月完成し8月1日日の出埠頭付近に貨物駅芝浦駅開業した。この路線国鉄営業線の扱いで、東海道本線貨物支線とされた。また、当初汐留駅から一旦浜松町駅付近に設置され引き上げ線まで進んで、そこから折り返す形で芝浦駅に向かう配線とされていた。首都高速道路東海道新幹線建設に伴う汐留駅改良工事受けて1962年昭和37年7月15日から汐留駅から芝浦駅直接入れるように線形修正された。後にゆりかもめ1962年以降臨港線経路にほぼ沿って建設されている。 東京港長らく国内輸送限定されてきたが、日中戦争拡大に伴う大陸方面への輸送急増対処するために、1941年昭和16年5月20日対外開港となった。この時点では逓信省別表により、中華民国満州国関東州対す貿易限定されていたが、1948年昭和23年)の港則法制定により制限撤廃されている。 やはり日中戦争拡大に伴い陸軍芝浦埠頭軍需用に利用することになり、芝浦駅から総延長4,179 mの専用線芝浦埠頭まで延長して1941年昭和16年9月から軍専用として使用した第二次世界大戦後進駐軍東京港埠頭接収して軍専用利用し臨港鉄道同様に接収受けた1953年昭和28年)から段階的に返還始まり1958年昭和33年)に全面返還された。 「芝浦駅」も参照

※この「東京港の整備の開始と芝浦駅の開設」の解説は、「東京都港湾局専用線」の解説の一部です。
「東京港の整備の開始と芝浦駅の開設」を含む「東京都港湾局専用線」の記事については、「東京都港湾局専用線」の概要を参照ください。

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