東京湾への反転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/29 09:53 UTC 版)
6月14日午前0時半、駆潜艇2隻を除いて美保丸船団と改称した船団は、父島を出て帰途に就いた。駆潜艇2隻は、同じく退避することになった第3609船団(弥栄丸船団と改称)を護衛し、少し遅れて出港した。15日、父島を含む小笠原諸島一帯は日本側の予想通り第58任務部隊の一部により激しい空襲を受けたが、船団は攻撃を免れた。 船団は八丈島南方で濃霧に包まれ、視界不良のため分裂状態となってしまった。15日、貨物船の甘井子丸(大連汽船:7130総トン)は松風を沈めたのと同じソードフィッシュに捕捉され、ソードフィッシュの雷撃で撃沈された。幸い、乗員は1名を除き護衛艦に収容された。同日午後9時過ぎには詳細不明の曳光弾の発射や爆発音が確認された後、特設掃海艇第8昭和丸が行方不明となった。同日午後10時半前には貨物船の豊川丸が浮上中の敵潜水艦らしきものを発見して体当たり攻撃を試み、転覆させた上に銃撃と爆雷攻撃を加えて敵潜水艦撃沈を報じた。豊川丸自身も衝突で船首を破損して浸水している。しかし、アメリカ海軍公式年表によれば同日にアメリカ潜水艦の損害はなく、友軍の伊号第六潜水艦を誤って撃沈した可能性が高い。 美保丸船団の生き残りは、16日に八丈島で集合することができた。再編成された船団は17日に東京湾へ到着した。なお、分離した駆潜艇2隻の護衛する弥栄丸船団も18日に無事に到着した。
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