本来の夜の数と物語数そして結末
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「千夜一夜物語」の記事における「本来の夜の数と物語数そして結末」の解説
「千一夜」は、9世紀ごろに原型ができ、原型が作られたイスラム世界でも多様な版が存在し、やがてヨーロッパに紹介されていくにつれ数多くのバリエーションが生まれたことが大きな特徴である。現存するいろいろな版を比較すると、収録されている話も順序もかなり違うが、最初の二百数十夜くらいはほぼ共通している。当初の題名は沿革にもあるように「千夜」であり、それがいつ「千一夜」になったか、正確にはまだわかっていない。12世紀頃、カイロの貸本屋での貸出記録に「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」(アラビア語: ألف ليلة وليلة,千一夜)を見ることができるため、12世紀頃までには「千一夜」となっていたことがわかる。 「千一夜」という題名ゆえに、ヨーロッパに初めて「千一夜」を紹介したアントワーヌ・ガランは、本来は1001夜の完本があるはずと信じていた。例えば、ガランは、1704年に「千一夜」のアラビア語写本からフランス語版「千一夜」を出版した際、アラビア語写本には存在しない話を加えている。それは、以前から所有していたアラビア語写本のシンドバットという商人の冒険物語である。さらにガランは、1709年にオスマン帝国のアレッポのキリスト教徒から、アラジン、アリババ、空飛ぶ絨毯など17の物語を聞き取り、それらを加えて再度「千一夜」を出版した。 「千一夜」アラビア語写本には、結末はなく、夜の数は282夜(およそ35話)だが、結局、ガランによる翻訳版(1704年~1717年)では、およそ480夜となった(234夜以降、夜の区切りなし。およそ60話)。こうしてヨーロッパで、残りの物語探しが盛んになるにつれ、中東で聞き取った多くの物語等が無秩序に付加されて、ついに19世紀には現在の1001夜分を含む形での出版に至った。 また、「千一夜」の結末はいくつもの創作がなされ、フランス語で刊行された「ガラン版」「マルドリュス版」、アラビア語で刊行された「カルカッタ第二版(バートン版)」「ブレスラウ版」など、版により異なる。例えば、シャフリヤール王がシェヘラザードを愛するようになる点ではおおむね同じだが、そこにいたる過程で、シェヘラザードの子供がやって来て王に慈悲を願う版があり、その子供の数も1人~3人と版により異なる。また、最後に子供が登場しない「ガラン版」や「ブレスラウ版」もある。シェヘラザードが王に命乞いをする「カルカッタ第二版(バートン版)」(他の版ではしない)。シェヘラザードの妹ドゥンヤザードが、王シャフリヤールの弟シャーザマーンと結婚して皆幸せに暮す「マルドリュス版」「カルカッタ第二版(バートン版)」など、様々な結末が創作された。 現存する最古の写本とされるガランのアラビア語写本に収録されていたのは、東洋文庫版でいうと、第1巻、第2巻、そして第3巻冒頭の「ヌールッ・ディーン・アリーとアニースッ・ジャリースの物語」、第6巻の「アリー・ビン・バッカールとシャムス・ウン・ナハールとの物語」、それに続く「カマル・ウッ・ザマーンの物語」冒頭部分、第15巻の「ホラサーンのシャフルマーン王の物語(ジュナールの物語)」くらいであり、残りはすべてガラン写本以外の資料を典拠としている。現在の「千一夜」は、成立当時の姿の何倍にも膨らんでいる。 「千一夜」は、これという底本がない古典であり、底本がないゆえにどんどん新しい物語が加えられ、さらにヨーロッパと中東という二つの文明の間を行ったり来たりするうちに変形が進んだ物語といえる。偽写本の捏造もしばしば行われた。しかしオリジナルがないゆえに、どれが正しくどれが誤りといった判断をするのは困難である。いつ、どの話が加えられたのかという判断も難しく、また、いつの段階までに収録された話を正式の「千一夜」と呼ぶのか、といった定義のようなものがあるわけではない。
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