木馬亭の沿革とは? わかりやすく解説

木馬亭の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 03:07 UTC 版)

木馬亭」の記事における「木馬亭の沿革」の解説

1970年昭和45年5月上席木馬浪曲会」を日本浪曲協会根岸興行部共催の形でスタート当初1 - 15日までの興行。月後半貸席楽屋主任は楽浦の実子でもある東家浦若。1973年より実質的支配人として芝清之初日東家浦清(現・二代目東家浦太郎)も出演雑誌浪曲ファン」の編集部同所置かれる後継の「月刊浪曲」も同様)1975年昭和50年)に2階との区別のため「木馬亭」の呼称使い始める。3月東京12チャンネル涙の浪曲劇場」の初回収録二葉百合子メイン玉川良一司会1992年12月 この頃、「平日とはいえ客が私を含め6人」の状況。 1-10日までに短縮、さらに1-7日までの興行になるなど、苦しみながら浪曲寄席演目として続けている。現在は昼席のみ。 1998年1月12日 芝清之死去2004年 木馬亭と共に育った玉川福太郎が、弟子玉川美穂子プロデュース連続読み企画玉川福太郎徹底天保水滸伝」を月1回ずつ開催空前大入り続け興行的に大成功収める2014年6月 出演者増やすために中トリ制を導入演題掲示開始長田衛の提案2015年 第36回松尾芸能賞功労賞木馬亭功績により席亭根岸京子受賞近年徐々に入場客が増えている。膝送りをせずに平均7割程度入り2019年12月17日 根岸京子91歳で死去2020年7月 根岸京子2015年急逝した国本武春2007年11月から2016年まで記録したドキュメンタリー映画浅草木馬亭 席亭(おかみ)さんと武春さん」(100分、伊勢監督)を、渋谷ユーロライブ上映2021年12月 根岸京子三回忌として劇団お笑い浅草21世紀浪曲師歌手出演による「節劇喜劇 根岸京子物語」(脚本・演出 稲田和浩)を、12月26日根岸京子三回忌国本武春七回忌特別企画元気を出す浪花節!」を開催

※この「木馬亭の沿革」の解説は、「木馬亭」の解説の一部です。
「木馬亭の沿革」を含む「木馬亭」の記事については、「木馬亭」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「木馬亭の沿革」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「木馬亭の沿革」の関連用語

1
6% |||||

木馬亭の沿革のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



木馬亭の沿革のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの木馬亭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS