木馬亭の沿革
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1970年(昭和45年)5月上席 「木馬浪曲会」を日本浪曲協会と根岸興行部の共催の形でスタート。当初は1 - 15日までの興行。月後半は貸席。楽屋主任は楽浦の実子でもある東家浦若。1973年より実質的支配人として芝清之。 初日に東家浦清(現・二代目東家浦太郎)も出演。 雑誌「浪曲ファン」の編集部も同所に置かれる(後継の「月刊浪曲」も同様)。 1975年(昭和50年)に2階との区別のため「木馬亭」の呼称を使い始める。3月、東京12チャンネル「涙の浪曲劇場」の初回収録。二葉百合子がメイン、玉川良一司会。 1992年12月 この頃、「平日とはいえ客が私を含め6人」の状況。 1-10日までに短縮、さらに1-7日までの興行になるなど、苦しみながら浪曲を寄席の演目として続けている。現在は昼席のみ。 1998年1月12日 芝清之死去。 2004年 木馬亭と共に育った玉川福太郎が、弟子の玉川美穂子のプロデュースで連続読み企画「玉川福太郎の徹底天保水滸伝」を月1回ずつ開催。空前の大入りを続け、興行的にも大成功を収める。 2014年6月 出演者を増やすために中トリ制を導入。演題の掲示開始(長田衛の提案) 2015年 第36回松尾芸能賞功労賞を木馬亭の功績により席亭の根岸京子が受賞。 近年、徐々に入場客が増えている。膝送りをせずに平均7割程度の入り。 2019年12月17日 根岸京子91歳で死去。 2020年7月 根岸京子と2015年に急逝した国本武春を2007年11月から2016年まで記録したドキュメンタリー映画「浅草木馬亭 席亭(おかみ)さんと武春さん」(100分、伊勢哲監督)を、渋谷・ユーロライブで上映。 2021年12月 根岸京子三回忌として劇団お笑い浅草21世紀と浪曲師・歌手の出演による「節劇・喜劇 根岸京子物語」(脚本・演出 稲田和浩)を、12月26日に根岸京子三回忌・国本武春七回忌特別企画「元気を出すぞ浪花節!」を開催。
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