朝鮮通信使待遇改訂とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 朝鮮通信使待遇改訂の意味・解説 

朝鮮通信使待遇改訂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 05:40 UTC 版)

正徳の治」の記事における「朝鮮通信使待遇改訂」の解説

日朝関係豊臣秀吉朝鮮出兵によって破壊され、関係の復旧意欲示した徳川家康対馬宗氏通じて国交回復交渉行い結果寛永13年1636年)に通信使という名の使節最初の者が送られてきたのを皮切りに以後将軍代替わりの度に通信使が来日することになる。家宣将軍就いた時にも、それを祝って正徳元年第8回目の通信使が来日している。変更骨子は「経費節減」と「将軍呼称変更」の2つである。その背景にあるのは、白石の対朝鮮外交基本方針である、和平簡素対等である。 正使以下の一行人数は約500人、供を含めると大体1000人、対馬から江戸までの道中各藩担当したからその人数も含めると更に多くなるまた、李氏朝鮮徹底した文治主義をとり、非常に形式主義的な性格の強い朝鮮使節応接勅旨以上に気を使うものであった白石通信使の応接に約100万両という巨額費用がかかり、そのため、幕府財政が傾く恐れがある、こう判断し60万両抑えることに成功している。 朝鮮側国書宛先を「日本国大君」から「日本国王」に直した白石としては、「征夷大将軍」は日本国内でこそ威権があるが海外では何を意味するのかが不明であり、大君の称も朝鮮では王子嫡子対す称号として用いられていたため、この際足利時代にも一度国書使用された「国王」に変更すべきであるというものであった。これに対して幕府内反対派の林家から「国王天皇指し将軍国王名乗るべきではなく無用の改変平地波風を立てるもの」、対馬藩藩儒雨森芳洲から「李氏朝鮮急激な変革を特に嫌う。再考願いたい」とそれぞれ反論をうけ、一時白石辞職願にまで発展したが、将軍家宣の全面的な白石支持により事なきを得最終的に実現している。 使節待遇変更朝鮮側誤解招き抗議を受ける場面もあった。しかし、必ずしも使節冷遇しわけではない朝鮮国王への返書将軍自らが手渡したり、江戸城内で舞楽上演したりするなど、礼遇呼べる面もある。

※この「朝鮮通信使待遇改訂」の解説は、「正徳の治」の解説の一部です。
「朝鮮通信使待遇改訂」を含む「正徳の治」の記事については、「正徳の治」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「朝鮮通信使待遇改訂」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朝鮮通信使待遇改訂」の関連用語

朝鮮通信使待遇改訂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朝鮮通信使待遇改訂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの正徳の治 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS