朝鮮部落の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 06:52 UTC 版)
1910年の朝鮮併合以降、大量の朝鮮人が日本へ渡航して各地に集住地域が形成されたが、関東では震災の影響で形成が遅かった。東京近辺ではバラックなどに住む日本人貧民と混在して三河島・千住・鶴見潮田・横浜宮川町などに形成されたが、東京オリンピック開催が決まり(その後の戦争開始により中止)、外国人にみっともない姿を見られるのは具合が悪いというので、一ヵ所にまとめて住ませることになり、隣接地域の塩崎町とともに、まだ当時不衛生なごみの埋立地だった当地へ移住させ、治安上の理由から皇民化や創氏改名が行われたという。戦後は当用として都立第二朝鮮人小学校(現在の東京朝鮮第二初級学校)やキリスト教会も建てられた。 枝川のコリアタウン 『アサヒグラフ』 1953年8月19日号
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