月の沙漠記念館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 05:50 UTC 版)
「月の沙漠#月の沙漠記念館」を参照 御宿町六軒町505-1に所在する。1990年(平成2年)7月8日、グランドオープン。 月の沙漠記念館前広場では、毎年の秋(9月上旬~10月下旬)に「伊勢えび祭り」が開催され、冬(12月上旬~1月初旬)にはイルミネーションによる演出がなされる。
※この「月の沙漠記念館」の解説は、「御宿海岸」の解説の一部です。
「月の沙漠記念館」を含む「御宿海岸」の記事については、「御宿海岸」の概要を参照ください。
月の沙漠記念館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 07:44 UTC 版)
全ての座標を示した地図 - OSM全座標を出力 - KML 表示 千葉県夷隅郡御宿町の御宿海岸には、『月の沙漠』に登場する、2頭のラクダに乗った王子と姫をあしらった像が建てられている(北緯35度11分0秒 東経140度21分25.1秒 / 北緯35.18333度 東経140.356972度 / 35.18333; 140.356972 (月の沙漠記念像))。その数メートル脇には、『月の沙漠』の冒頭を刻んだ月形の詩碑が存在する(加藤の直筆による)。 また、記念像から清水川と道路を隔てた場所に「月の沙漠記念館」(1990年7月8日開館)が建てられており、加藤の作品や生前愛用した楽器などが展示されている(北緯35度11分3.5秒 東経140度21分27.8秒 / 北緯35.184306度 東経140.357722度 / 35.184306; 140.357722 (月の沙漠記念館))。同館はふるさと創生事業によって設置された。 1965年(昭和40年)10月、御宿町商工会長の内山保が、少年時代、療養のため御宿を訪れていた加藤まさをに撮ってもらった写真をたまたま見つけ、加藤に手紙を送ったことから、加藤と内山との間で文通が始まった。1968年(昭和43年)、加藤は内山に送った手紙の中で、「幾夏も、あの砂丘をながめて暮らしたことを想い出します。したがって「月の沙漠」の幻想の中には、御宿の砂丘が潜在していたものに違いないものと思います」と書き記した。しばらくして内山は加藤に電話して、「「月の沙漠」が御宿の砂丘で生まれたことを記念するために、町で記念像を建てたい」と告げた。加藤は観光宣伝目的なら真っ平だと断ったが、内山は青少年の情操教育が目的だと主張して加藤を説き伏せた。記念像の除幕式は1969年(昭和44年)7月6日に行われた。 ラクダ像の制作は彫刻家の竹田京一が担当し、アラビア砂漠のベドウィンを取材した経験を持つ朝日新聞記者の本多勝一が監修した。完成当初は合成樹脂製だったが、1990年の「月の沙漠記念館」開館に合わせ、青銅製に作り直された。初代の像は、2001年に、御宿町の姉妹都市である長野県下高井郡野沢温泉村に寄贈されている。 なお、月の沙漠記念像詩碑には、「月の沙漠」が「御宿のこの砂丘で綴られた」という誤った記述がある。実際には東京で作詞されたものである。 一方で、この御宿町側の主張に藤枝市側は反発し、御宿町観光課と内山に質問状を出している。
※この「月の沙漠記念館」の解説は、「月の沙漠」の解説の一部です。
「月の沙漠記念館」を含む「月の沙漠」の記事については、「月の沙漠」の概要を参照ください。
- 月の沙漠記念館のページへのリンク