最高齢の肉体美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:15 UTC 版)
佐伯がボディビルディングを始めたのは、1968年(昭和43年)だという。1971年(昭和46年)、満59歳で再婚し、台東区柳橋に居を構えるとともに、妻とともに軽食店の経営を始めた。以降はシニアのファッションモデルとして活動し、ボディビルも継続した。離別した前妻の霧立のぼるは、同年6月に劇団新派を退団し、佐伯の生地の近くの港区南青山のマンションに娘と二人で暮らしていたのだが、娘が渡米した留守中の1972年(昭和47年)3月22日未明に睡眠薬の摂取過多により満55歳で孤独死した。 1976年(昭和51年)10月1日に公開された『バカ政ホラ政トッパ政』(主演菅原文太)、翌1977年(昭和52年)1月22日に公開された『やくざ戦争 日本の首領』(主演鶴田浩二)という、東映京都撮影所が製作、中島貞夫が監督した2作品に出演、佐伯 泰輔の名でクレジットされた。1978年(昭和53年)4月8日に公開された『多羅尾伴内』(監督鈴木則文)では「吉村会頭」役で出演、「佐伯秀男」名義では11年ぶりの映画出演であった。 1981年(昭和56年)に地下鉄で佐伯をみかけた池波正太郎は、「先日、久しぶりで佐伯秀男を地下鉄の車内で見た。若いころ、ボクシングできたえた、がっしりとした躰にスポーティなスーツをまとい、大きな旅行鞄を二つも提げ、若い者も顔負けの足取りで、新橋の地下鉄ホームを去って行った」と記している。当時佐伯は満69歳、池波は満61歳であった。1991年(平成3年)、第26回東京ボディビル選手権大会マスターズの部で特別賞を受賞する。最晩年まで「現役最高齢のファッションモデル」、「現役最高齢のボディビルダー」として活動した。1999年(平成11年)にはサンスターの歯磨広告に87歳のボディビルダーとして登場、現役ぶりを示し、2001年(平成13年)9月15日に公開された『忘れられぬ人々』(監督篠崎誠)に出演、主演の三橋達也(1923年 - 2004年)、大木実(1923年 - 2009年)、青木富夫(1923年 - 2004年)のほか、内海桂子(1922年 - 2020年)、風見章子(1921年 - 2016年)、星美智子(1927年 - )ら、佐伯よりも10歳若い世代の老優たちに交じって「戦友会の鈴木」という役を演じた。 2003年(平成15年)11月1日、19時35分、胃がんのため死去した。満91歳没。没後半年に当たる2004年(平成16年)3月には、妻・君子の監修により著作物をまとめた『追悼 映画俳優佐伯秀男 あるがままに輝きて』が発行された。
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