旧川口居留地
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旧川口居留地(きゅうかわぐちきょりゅうち)は、1868年から1899年まで、現在の大阪府大阪市西区川口1丁目北部・同2丁目北部に設けられていた川口外国人居留地の跡地。旧大阪居留地、旧大阪川口居留地ともいう。全36区画。
- ^ “「大阪港150年史-物流そして都市の交流拠点-」33頁”. 大阪港湾局 (2021年7月). 2024年1月3日閲覧。
- ^ “「大阪港150年史-物流そして都市の交流拠点-」35頁”. 大阪港湾局 (2021年7月). 2024年1月3日閲覧。
- ^ 村田明久「外国人居留地の建設過程と計画手法に関する研究」『日本建築学会計画系論文報告集』第414巻、日本建築学会、1990年、89-101頁、doi:10.3130/aijax.414.0_89、ISSN 09108017。
- ^ “「大阪川口居留地・雑居地跡-聖公会関係学校・施設創設と日本聖公会組織成立の地-」”. 学校法人桃山学院・桃山学院史料室. 2023年8月25日閲覧。
- ^ 桃山学院青山学院大学情報メディアセンター
- 1 旧川口居留地とは
- 2 旧川口居留地の概要
- 3 脚注
旧川口居留地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 03:16 UTC 版)
大阪府大阪市西区川口の南東部、旧川口居留地の南に隣接する旧町名・本田一番町 - 三番町のあたりは、1899年の居留地廃止から1937年の日中戦争勃発の頃まで中華街の様相を呈していた。第二次世界大戦後は倉庫中心の町に変貌し、現在は数件の老舗中華料理店が残る程度である。
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